もしも
釈迦が
王家に生まれたことを
“ラッキー”と思って
王族のまま
生涯を終えたら
今
彼の存在は
誰に知られること無く
“昔の人”として
その他大勢の1人だったかもしれません。
インド独立の父と言われたガンジー。
彼は
弁護士という立場でした。
イギリスによる
植民地だったインドで、
ガンジーが
自分1人のことだけを考えたら
イギリスからの
独立解放の
意思表示は
しなかったかも
しれません。
彼らに
共通するのは
状況としては、
どちらかと言うと
恵まれた立場だったにも関わらず
“安定”を棄ててでも
未来のために
行動を起こしたことでした。
しかも
“命”を
かけてでも
叶えようとしていたのは
個人の評価とか
名声とか
賞賛とかを
得るためでは無く、
より多くの人が
平和に
心穏やかに
日々を過ごし
畑を耕し,
家族と笑い合い
子どもを育てることができる
“何気ない日常の現実化”
するためだったように
感じます。
教師をしていて
1番疲れたのは
常に
比較、競争、争いの中で
生きていかねばならず、
いつも緊張して
張り詰めてきたからでした。
釈迦もガンジーも
比較、競争、争いから
離れた世界を創ろうとして
生きた人のように
感じます。
そうじゃない世界を
創りたかった...。
“命”をかけてでも...。
人の致死率は100%。
必ず
“死ぬとき”が
やってきます。
だとするなら
自分は
“何に”
命をかけて
生きていくのか...。
私は...
不器用でも
誰かから非難されようとも
想いを伝え続けることで
この世界が
笑顔で充たされるように
生きていきたいと
強く思います。
未来なんて
実は
全く
予想できません。
不安になるときだって
時には
あります。
でも、
私は
矢具神社で
確かに伝えたのです。
“神様の想いを
表現する
媒体となるよう
私を
お使い下さい”
教師を辞めたとき
私は
“安定”を棄てました。
賞賛も
地位も
名誉も
どうでもいいです。
ただ、
かつての私のように
“生きづらさ”をかかえ、
「私なんて生きていても仕方ない」
そう思いながら
生きている人がいるとするなら、
私は
そんな人達に
笑顔の花が咲くために
お役に立ちたいと
思っています。
それが、
私が
“命をかけても”
やりたいことです。
誰もがレジェンドとなれる日。
そんな日が
そう遠くは無い先に
現実となるように
感じています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル気功師MOE

