教師をしていた頃は

目に見える行動や
仕上がった作品やノートなどから
子ども達を
評価しようとする
傾向が強い人間でした。
元々
そうだったのかもしれません。
プライベートでも
周りの人に対して
目に見える行動から
私が“勝手に”判断することも
多々ありました。
そうすると
我が子が
皿を落としておかずがこぼれた
とか
掃除を綺麗にしていない
とか
目に見える行動と結果から
私は
怒りを
ぶつけていました。
また
母から何か言われるときも
「また説教か」
と
常に身構える状態でした。
常に
目に見えるものや
耳に聞こえるものだけで判断し
良い・悪い
で
相手を裁いていきました。
相手を裁くと言うことは
無意識ながらに
自分自身を
裁き続けていた...
ということ。
しかも、
行動だけで
判断していたのは
周りだけでは無く
無意識ながらに
自分自身に対しても
行っていたのです。
なるほど、
私は
常に
自分自身が
何か言われはしないかと
行動する際に
いつも
身構えていたことが
今なら
よく分かります。
身構える分
常に緊張し、
ストレスいっぱいで
帰宅したら
疲れ果てていました..。

言葉も行動も
全ては
“想い”から
派生したものです。
しかしながら
“想い”は
目には見えません。
目に見えるようになるのは
行動になったときから、です。
ところが
行動になると
本人の“想い”とは
うらはらに
周りの人が
その人の価値観を以て
良い・悪い
とジャッジしてきます。
ママのお手伝いをしたい、
ママの喜ぶ顔が見たい、
我が子のそんな優しさも
教師をしていた頃の私には
心のゆとりが無く
行動の結果だけを見て
叱りつけました。
「何してんのよ!
これ以上
仕事を増やさないで!」
自分の心にゆとりがないと
人の
優しさを
感じることが
できません。
しかも、
良い・悪い
だけで
判断
していくため
人間関係も
ぎくしゃく
していきます。
そこに必要なのは
“愛”でした...。
自分に愛が無いから
“愛”に気づけなかったのです。
愛に気づくために
必要なのは
心のゆとりでもありました。
ゆとりがあれば
皿を割ったときに
我が子に訊けたはずです。
「大丈夫?
怪我は無い?」
そして
片付けをして
安全が確保されたら
「どうして
皿を持っていたの?」
その理由や想いを
訊いたら良かったのです。
そしたら、
きっと
私にも
理解できたでしょう。
どれだけ
我が子に
愛があったのか、ということを...。
人は
あるがままを
認められたいのです。
だから、
自分に対して
良い・悪いを
押し付けてくる人に対して
決して
良い感情は持てません。
この世界を生み出した
大いなる存在は
“愛そのもの”で
良い・悪いは
ありません。
良い・悪いと
ジャッジするのは
人間の価値観です。
その価値観を
手放していくと
人との関係も
気持ち的に楽になりますが、
何よりも
自分自身との
関係性が
1番大きく変化し
自分自身の可能性が
拡がっていきます。
今だからこそ
誰かに
責任追及して
良い・悪いと
ジャッジする価値観を
手放して、
自分自身に振り返り、
どう生きていくのか
どう在ろうとするのかを
真剣に見つめる
必要があると
思います。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル気功師MOE