人生の中で
苦しみの中にあるとき...
自分1人が
闇を彷徨うように
感じていました...。
もしも
私が
公立学校教員として
あんなにも
生きづらさを
感じなかったら
私は
間違いなく
今でも
教員として
学校組織に
属していたと
思います。
上江洲義秀先生の光話(講話)の中で
私の話が
あがりました。
「今度
熊本県のセミナーの
主催者になる人は
学校の先生をしていたんだけど、
先生をしているときに
生きづらさを感じていて
そして
先生を辞めた人です。
でも、
もし彼女が
生きづらさを感じなかったら
今の学びに
触れることは
無かったでしょう。」
酒乱でDVの父
神経質な母の元に生まれ、
見えないものが見える私は
母から
「おかしか子ね(変な子ね)」
と
言われ
孤独な寂しさを
感じ続けました。
転校する先々でのいじめ、
中3のときにはレイプされそうになり、
大学2年では中絶、
教員となってからは
まさか
自分自身が
うつ病になるなんて
想像さえも
していませんでした。
教員時代は
様々な病気が
私を
襲いました。
教員を辞めてからは
経済的不安で
自殺を謀りました。
これは
抜粋です。
行動科学研究所
岩田静治所長のことばです。
「 闇に降りて、光を生きる
人は光にふれることで希望を持ち
希望によってもちこたえ
もちこたえることで
あるとき、
突然立ち上がり、
カルマの回路から抜け出る。
光は闇の中かくれている。
闇は光を隠しているが、
光を覆い尽くすことはない。
人は自分の闇に気づくことで
光への第一接近を始める。
エネルギーが鬱になり、
ホルモンのバランスが崩れ
副交感神経が失調し、
やる気が消え失せ
自殺さえも思うとき、
あなたは
光への第一接近を
始めている。
人を責める一方で、
そんな自分を嫌悪し
いままでの価値基準が
音を立てて
崩壊するかの如く感じるとき
あなたは
光への第一接近を
始めている。
出来ない理由を並べ立てて、
あらゆる可能性を否定し
未来を占ってもらうために、
正解を外に、
他者に求めて歩き回り
生きていく不安に
麻酔をうちこみ、
生命感覚が麻痺している時
あなたは
光への第一接近を
始めている。
親しかったひとに裏切られ
身近な人から
金銭を奪い取られ
なぜ私がこんな目にと
嘆き、怒り、悲しむとき
あなたは
光への第一接近を
始めている。
光への第一接近は、
エネルギー意識の
目覚めである。
低いレベルの自我に挨拶し、
生きること、
死ぬことへの恐怖を見据え
じゃじゃ漏れしていた
エネルギーに気づき
これを取りもどし始めるとき
あなたは光への第一接近を始めている。
幸いなるかな、
闇に降りて、
光を求め、
光に触れ、
光を生きる人は」