スピリチュアルというと

一歩引く人も

少なくはありません。




しかし...

実際に

目には見えないことは

私の身近に

沢山ありました。




かつて

父が

自衛だった頃

硫黄島勤務をしていた時が

ありました。

硫黄島とは

第二次世界大戦で

激戦地だった場所の1つです。

硫黄島に

1年半勤務した父は

勤務を終えて

ふと

こう言いました。

「戦争で死んだ人の骨が

 まだ土の中に残っててな...。

 その骨を掘ったこともあった。

 自衛官の中には

 気が狂ってしまって

 ブツブツ言い出したり

 夜中に

 叫んだりする人もいた。

 やっぱり

 成仏できない人もいたんだろうな」








私が

教師になったときも

誰も居ないはずの教室に

1人の子どもが入っていきました。

私は

不思議に思って

確認のため

扉を開こうとしました。

しかし

その扉には

鍵がかかっていました。

私は

職員室に入り

鍵を取って

その教室を確認しましたが、

やはり

中には

誰も居なかったのです。






さらに

クライアントさんで

看護士さんの話ですが、

夜勤で

ナースコールがなって

行ってみても

その部屋には

実は

誰もいない...とか

そんな話は

ざらにあると言います。






こんな話は

信じる人が多いのに

なぜ

自分の発する言葉には

力が宿り

言葉通りの人生になっていく

ということに対しては

「???」と

なるのでしょうか。




何度も生まれ変わり


肉体を以て

この世にいることも

今の人生で

何かしら

果たすべきテーマ(役割)があると

話をしても

理解する人は

少数派だったりもします。





自分の波動が高まれば

大いなる存在とも

コンタクトが取れ

(実は自分自身の内側に

 大いなる存在はありますが)

想像通りの未来が

創り出されること。




時には

白龍とか

弥勒菩薩とか

様々な姿となって

必要なメッセージを

伝えてきたりとか。






目に見えない世界は

とても

幅広いため

自分自身の波動に応じた世界が

感じられるようです。





私は

幼少期から

成仏されない方々が

見えていましたが、

今は

ほとんど見えません。

何となく

感じる程度です。

今は、

むしろ

光や

白龍や

弥勒菩薩や

妖精などが
  
見えることの方が

多くなりました。

特に

木や花や石などと

周波数を合わせて

コンタクトを取ることは

とても

幸せな時間だったりもします。




スピリチュアルを毛嫌いしても

年末には

お寺で除夜の鐘をつき、

お正月には

神社参拝をする...。

人が亡くなれば

お寺のお坊さんに

お経をあげてもらい、

赤ちゃんが生まれたら

100日参りで

神社へ行く...。

結婚式は

教会で...。


日本は

何でもあり...

そんな

“受け入れ”の文化なら

スピリチュアルも

受け入れて

より

自分自身が

生きやすい考え方を

構築していくのも

アリだと

思います。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE