父が自衛官であり、

私自身が教師だったためか...

それが

影響しているのかどうかは

分かりませんが、

私は

「〇〇すべき」

「〇〇してはならない」

「〇〇しなければならない」

という考え方が

非常に

強い人間でした。

しかも、

たちが悪いことに

自分自身に

強い固定観念があることにさえ

気付いては居ませんでした。




※勉強して高い点数を取らなければならない

※大学卒業の学歴は必要不可欠である

※公務員にならなければならない

※挨拶はしなければならない

※服装の乱れは心の乱れ。

 服装は正すべきである。

※悪は征伐すべきである。

 不正行為は言語道断。

※いじめはしてはならない。



書き上げたら

きりがありません。

そして

自分の考えに沿わない人がいたら

「あの人、なんか違うよね


心の中で批難、批判したりしていました。

時には

言葉でハッキリ伝えるときもありました。

「〇〇すべきだと思いますが

 なぜ、しないんですか💢!」





例えば、

私には

挨拶はしなければならないという

非常に強い固定観念がありました。

だから、

学校現場では

自分から挨拶していましたが、

中には

教師でありながらも

挨拶をしない人がいたのです。

その時の私は

こう思いました。

 “教師なのに

 挨拶もしないなんて

 ありえない!!”



私の中で

挨拶をしない人に対して

強い

怒りが生まれました。

ただでさえ

苦手な相手に

自分から

挨拶をしてあげたのに

返答が無いなんて!!!



でも

もしかしたら

その人は

考え事をしていて

私の声が

聞こえなかったのかもしれません。



私は

再度

挨拶をすることを

しなかったため

本当のところは

よく分からないままに

心の中で

とにかく

相手を裁きました。



教師なのにありえない。


教師なのにありえない。




今だから

分かるのですが、

私の中の

「挨拶はすべきもの」

という強い固定観念と

挨拶をしたら

必ず

相手から反応があるという

期待感があったから

期待通りに

返答が無くて

私は

自分自身が

無視されたかのように感じ

寂しかった

のだと

思います。




教師を辞めると

決めてから、

私の中にある

固定観念とか

“正しさ”とか

そんなものが

自分自身を苦しめ、

周りの人をも

傷つけているということが

はっきりと

分かるようになってきました。




戦争は

国の正しさと

国の正しさとが

衝突した現れです。

お互いの正しさを

一切

認めようとはしない

結果です。




だから

私は


自分の“正しさ”を

押し付ける人がいたら

気持ち的な距離を置き、

自分自身の心を俯瞰します。


そして

こう考えます。



「このことは

 私に

 何を学べと言っているのか」





自分の中の

正しさを

もう1度

振り返ることも

時には

必要なのかもしれません。



あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE