学校の組織の体制と

その雰囲気に

どうしても

馴染みきれずに

生きづらさを感じた私は

教師を辞めました。






このまま

組織にいたら

私自身が

身体を壊してしまう...

そう

思いました。

でも、

特別支援学校の

子ども達は

本当に

可愛かったので、

教師を辞めるのは

悲しみをも

感じていました。

小1の担任だったから

なおさらでした。




スピリチュアルでは、

“やりたくないことはしなくてもいい”


よく表記してあります。





しかし、

この表現を

文字を見た人や

話を聞いた人が

どう解釈するのかによって

その人の

生き方に

大きく影響するように

思います。 





例えば...

私が

“やりたくないことはしなくてもいい”

ということから、

掃除をしない、

洗濯をしない、

子ども達の対応をしない、

するのは

“やりたいことだけ”

だとするなら

それは、

単に

“わがまま”です。



都合の良い

解釈です。




自分は

それで良いかも

しれませんが、

周りは

不快です。




“やりたくないことはしなくてもいい”

とは

余りにも

感受性が敏感で、

常に

周りの気持ちを優先して、

本当は

やりたくもないのに、

〇〇さんの話を断ったら

後から

何を言われるか分からないし、

とか

一緒にいたくなくても

仲間はずれが嫌だからとか

恐れから

行動を共にしていたりとか

本当は

意に沿わないことだけど、

周りの人の思いを優先し、

自分の言いたいことや

やりたいことを

我慢している状況に対して

“やりたくないことはしなくてもいい”

という意味だと

私は

解釈しています。




ただ、

重度のうつ病など

なんらかの

疾患により

身体が動かずに

何もできないときも

確かにあります。

そんな時は

身体に

エネルギーが

満たされるまで

充電期間として

過ごしたら良いのだと思います。

時が満ちたら

やがては

自然に

身体が

動くようにも

なってくるでしょう。



本来、

人は

自分で自分自身を

受け容れられるようになれば、

自分から

周りに対して

与えたくなるものです。

与えるのは

優しい言葉だったり

笑顔だったり...

自分ができるものです。





そして、

周りの環境も

整えたいと

自然に思うので、

掃除など

やりたくなります。

なぜなら、

掃除は

場の波動を

高めるだけでは無く、

自分自身の

エネルギーの流れを

改善するものだと

感じられるからです。



掃除や

洗濯や

食事や

諸々のやること。



私は

家庭に於いては

1番大切なことだと

感じています。

そして、

この家庭が

安定していたら

外で何が起こっても

乗り越えられる...

そんな気がしています。


だから、

私は

専業主婦・専業主夫を

尊敬していますし、 

今は

専業主婦だった母の

偉大さを

感じています。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE