幼少期から
何かあると
“死にたい”と
思うことが
頻繁にありました。
でも、
同じ両親から生まれた弟は
私より
厳しい状況でも
“死にたい”など
一言も
言ったことは
ありませんでした。
今
思うと
それぞれの過去生の違いと
今生の生まれてきたテーマの違いだと
分かります。
とにかく
生きているのが嫌でした。
その頃の私は
現実世界から
少しでも離れたくて
休みの日などは
とにかく
眠り続けました。
眠ることによってでしか
苦しみを感じない場所を
確保することが
できなかったのです。
しかし、
時には
夢の中にまで
悪夢という形で
苦しみを感じることも
あったのです。
起きても苦しみ
寝ても苦しむ...。
親が
いつケンカを始めるのか
家では
常に
ビクビクし、
学校に行けば
いじめられる...。
年齢が上がれば、
やがては
試験で順位を決められ
競争社会に
否が応でも
投げ入れられる...。
ただ...
そんな私を
救ったのは
もしかしたら、
見えない存在だったようにも
感じます。
当時の私は
亡くなった方の姿は
はっきり見えていましたが、
天使とか
弥勒菩薩とか
そんな明るいイメージの存在は
見えては居ませんでした。
しかし、
生きづらさを感じる私でも
なぜか
“思ったことが
不思議な形で
叶ってしまうこと”が
少なくは無かったのです。
例えば、
私をいじめていた人がいました。
私は
その人が
本当に嫌いでした。
居なくなればいいと
思いました。
すると
僅か数週間後には
本当に
引っ越していきました。
中3の時
私は
学年のほぼ全員から
無視をされる状況が続きました。
私は
高校受験に専念するため、
私をいじめる人に対して
反応しませんでした。
私の受験する高校に
私をいじめる3人の女子も
受験しましたが、
私以外は
全て不合格となりました。
そして、
本当に欲しいものは
不思議と
現実になっていました...。
“死にたい”と思っても
まだ生きている...。
今だから
分かること。
死にたいと思うくらいの
生きづらさの体験の数々が
私の中で
気付きや学びになっていき、
私が
それらを
文字として表すことで
文字を目にする人にとっても
何かしらの気付きや学びや
生きるヒントになっていけるならば、
私の幼少期からの体験は
必要不可欠であり、
それは
私の使命だったのかもしれません。
苦しみから
逃げ回っていても
苦しみは
いつだって
私の心の内側から
やって来ました。
そして、
私は
自分自身の内面と
徹底して
向き合っていき
少しずつ
少しずつ
人間の想念が
いかに
凄い力があるのかを
実感しつつあります。
覚悟を決めています。
私に
使命が果たせなくなれば
部屋にいたとしても
私は
死ぬのでしょう。
もし、
私に
使命がまだあるのであれば
戦場の中でも
生き続けるでしょう。
私は
インドへ行きます。
私に使命があるならば、
きっと
インドの大地が
私に
メッセージを
くれることでしょう。
それを
伝え拡げることで
笑顔が生まれるならば...。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル気功師MOE