1月の新年会では、

僕が用意した

「ことわざ・格言」でも

ビンゴゲームをしました。

その中のひとつに

“「しない」と不思議と「する」ようになる”

というのがありました。


この「しない」とは、

子どものことで

親は余計なことを「しない」ということです。

子どもを応援するんだったら

余計なことではないと

思うかもしれませんが、

それが余計です。

それは応援にならないどころか、

反対に子どもの辛さに

手を貸すことになっています。

「では、親がしてあげるのではなく、

子ども自身がするように、

ああしたらこうしたらと

アドバイスするのは?」

 それもまったく余計なひとつです。

そういうことは「しない」。

子どものことを心配しないというのも

「しない」ことで、

これは一番大事な「しない」です。


親が「しない」というのは

すごいことなんです。

わが子を信頼しているから、

何も「しない」でいられるのです。

反対に、

親が何か「する」というのは、

自分の子どもを信頼していないから

「する」のです。

信頼ではなく

「この子は大丈夫だろうか?」と

いった心配から、

言わなくてもよいことや

言ってはいけないことを言ったり、

またしなくてよい、

してはいけないことをしてしまうのです。

そうではなく、

親がしなくなると、

なんと反対に

子どもは「する」ようになります。

これはじつは

不思議でもなんでもありません。

人間は、

自分が他から信頼されていることが分かると

気持ちいいですし、

言われなくても

その信頼にこたえようと「する」存在です。


このように

親が余計なことを「しない」ことが

大事ですが、

あわせて

子ども自身にとっても

「しない」ということが

大事な課題になります。

世の中には借金返済のような

期限がそうあるものではありません。

「いついつまでにこうしなくては・・・」

というのは

ほとんどの場合思い込みで、

個人のありように期限はありません。

時間はいくらでもあります。

あせらずに、

ゆっくりいっぱい時間をかけて、

「しない」自分が

認められるように

なっていくことが大事です。

勉強もしない、

運動もしない、

家の手伝いもしない、

遊びもしない。

そういう「しない」自分が

認められるようになると、

逆にだんだん

自然に「する」ようになります。


 人間、辛い時はできないものです。

しようと思ってもできない。

たとえ無理をして

ちょっとするということがあっても続かない。

続かないと、

続けられなかったということに

落ち込みます。

そういうときに

しようとしてはいけないんです。


そういうときは「する」ことではなく、

「しない」ことが課題です。

普通、

なにかを「する」ことのほうが

当たり前と考えられていますから、

「しよう」「しなければ・・・」と

もがきあがいてしまいます。

でも、

あせってはいい結果に

なろうはずがありません。


「する」ことよりも

「しない」ことを認められるか。

後者のほうが、

よほど勇気を必要として

難しいことかもしれません。

でも、

今はできない「しない」自分を

認め受け入れればいいだけの話ですから

簡単でもあります。


「しないといけない。しなければ・・・」と

思っているうちはなかなかできません。

ところが、

「義務ではないので、

そもそもしなければいけないと

いうことはない。

できないときはもちろん、

したくないときは

『しない!』でいいんだ」と

思えるようになってくると

違ってきます。

人間って、

ずっと「しない」ままでは

いられないんです。

誰でも美味しいものが食べたいし、

いい汗をかくと

気持ちよいので身体を動かしたいんです。

誰にも好奇心があるので

興味があることは知りたいし、

生きてゆくために

必要な知識や技能は

学んで身につけたいと思っています。

心底ゆっくり休み、

「しない」自分を

認められるようになると

「する」ようになります。


気がつくと子どもは

動き出しています。

わが子の不登校や引きこもりを

きっかけとして、

自分自身を

一番大切にするようになった親、

子どものことではなにも

「しない」親、

そして

自分の楽しみごとや

喜びに夢中になっている親、

そういう親の存在こそ、

子どもたちへの

一番の本当の応援のように思います。

続きは⑤へ