植松努さんの
講演会を
YouTubeで
見たことがあります。
ライブでは無いのに
涙が
次から次へと
溢れてきました。
それは、
彼自身が
自ら体験し
自らの言葉で
表現しているからだと
思います。
植松努さんのブログには
このように
書いてありました。
社会の厳しさを教えるために、
厳しくするばかりで、
その後のケアを一切しない、
という人は、
病原体そのものです。
人類が戦うべき敵です。
でも、
そういう人達が、
平気な顔をして
「憎まれ役をやっている」と
言います。
まじで倒したくなります。
教育とは、
安全な失敗を経験させて、
失敗の乗り越え方を
教えるためのものです。
失敗を責めるだけなんて、
教育ではないです。
不必要に
厳しい言葉を
浴びせるだけなんて、
教育ではないです。
僕は、
沢山の厳しい現実にぶつかってきました。
それを乗り越えることができたのは、
厳しい経験をしていたからではないです。
間違いなく、
僕を支えてくれたのは、
僕の大好きな
じいちゃんが
残してくれた
優しい記憶です。
沢山の映画や漫画が教えてくれた、
人を思いやる気持ちや、
人を見捨てない気持ちです。
僕を支えてくれたのは
「愛」だと思います。
世の中の厳しさに
耐えるために必要なのは、
厳しい目に
あわせることではなく、
それでも
世の中は
素敵なんだよと
いうことを教える
「愛」だと思います。
教師1年目の
初任者研修で
教頭から
ダメ出しばかりされ
うつ病になりました。
「あんたがやってるのは
教育じゃない」
「あんたのは
授業の
意味が
分からない」
「何回言ったら
分かるの。
レポート
全然なってない」
採用されて
半年後
うつ病となった私の元に
教頭は
体裁を保ちたいがゆえに
自宅へ行くと
申し出ましたが、
夫が
断りました。
私は
辛さから
逃れるために
何度も
“死”を
選ぼうとしました。
私を
うつ病から
救ったのは
薬では無く
家族の愛でした。
その後
10年以上
教師を
続けましたが、
教師とは
児童生徒を
型にはめることが
仕事ではなく、
本来の輝きを
その輝きのままに
さらに伸ばし
仲間と学ぶ楽しさや感動を
伝えていくことが
本来の使命だと
教師を辞めた今でも
私は
そう思っています。
教師を辞めた今は、
さらに
年齢の幅を広げ、
“人は何故生まれてきたのか”
“人は何故生きていくのか”
伝えていけるようになりました。
今まであった
様々な出来事...。
それでも
今
私が生きているのは
厳しい目に
あわすことなく、
それでも
世の中は
素敵なんだよと
いうことを教えてくれた
「愛」ある想いを
伝えてくれた
存在がいたから
だと思います。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル気功師MOE