私が母を

選んで生まれてきたのは、

その後ろ姿を通して

身を以て学ぶためだったのだと

今は

母の元に

生まれたことに対して

感謝になりつつあります...。





私の母は、

自分自身が

貧しかった家で育ったために

“我が子だけには経済的不安を与えない”


必死でした。


有り難いことに

私は

学びたいことを

“経済的理由”で

拒否されることは

一度もありませんでした。



しかし、

母は

自身が

子育て期間に

“自分がやりたいこと”が

あったとしても、

常に

“自分を犠牲”にして

子どもに対して

学費や習い事へ

費用を

優先し続けました。


時々

自分のやりたいことに

金銭的なやりくりをして

トライしていたようですが、

母の口癖は

「AかBかどちらかにしなさい」

でした。



自分がやりたいことを

我慢していることも

背景にはあったのでしょう。




あれもこれも

比べられないくらい

両方したくても

必ず

1つに絞るように、と

母は

私に

言っていました。




その体験は、

社会人になってからも

私の根幹に

ずっとありました。



やりたいことが

あったとしても、

必ず

どちらか1つ。



自分が我慢していると、

あれもこれもと

楽しそうにトライしている人を見たら

“怒り”が

こみ上げていました。


なんで

あの人は

何でも

やっているの?



当時の私には

感じられなかった

“自由”


その人は

謳歌していました。




私は

自分が

あれもこれも

トライできない理由を

「あの人は

民間企業だから、

私みたいに

教員採用試験の勉強もしなくて

いいから

時間があるのよね。

今は、

私は

受験勉強で

あれもこれもできないけど、

いつか絶対に

あれもこれもやるから!!!」






でも、

月日が流れても

私は

あれもこれも

できませんでした。





“お金”に対する

無意識のブロックが働き、

あれもこれも

トライすることに

罪悪感を感じたから...

でした。




お金は

“我慢して”

“苦労して”

戴くもの。

やりたいことに

すぐに

お金を払ったら

無くなってしまう...

そう

育てられてきました。

そう

信じていました。

疑うことも無く...。




だからこそ、

何かに投資するときは、

楽しいことよりも、

これを学んだことで

将来的に

どう生かしていけるのか、

ばかりを

考えていました。



本当は

旅行に行きたいのに、

教員採用試験のための

予備校に支払いをする...。

そんな感じでした。





旅行か予備校か。



旅行も予備校も...

そんな選択をしたら

また

その後の流れも

変わったかもしれません。




私の母は

子育て期間を終え、

中古ながらも

マイホームとなったとき、

客人を迎えるための

応接台(テーブル)を

買いました。

その応接台は

オーダーで

天然木の一枚板で

〇十万もする品物でした。

子育て期間に

我慢した想いが

爆発したかのような

買い物の仕方でした。


その応接台は、

私の結婚前に

夫が

我が家に挨拶に来た時と

弟が結婚前に

やはり

結婚相手とそのご両親が

いらした際に

客間で使った


僅か2回

でした。

今では、

客間の片隅で

物置と

なっています...。


かりに、

子育て期間中の

母が

自分のやりたいことも

我が子のやりたいことも

両方共に

許していたら...

おそらく

気持ちのゆとりが生まれ、

私との関係性も

違うものとなったのかも

しれません。




自己犠牲から

やりたいことを

我慢し、

あなたか私か

となったとき、

我慢した方は

時として

“怒り”を感じることも

少なくはありません。

私は、

幾度となく

感情的になった母から

様々な言葉と

時に

手を挙げられることが

しばしば

ありました。




時代は

変わりました。

やりたいことに

ブロックをしている

その背景を知り、

ブロックを解放することで、

これまでの

“お金の流れ”さえも

変えていくことが

できるのです。




あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE