いろんな人がいます。

いろんな考え方があります。

いろんなツールがあります。

それぞれの違いが

個性であり、

多様性だと

思います。




私は

“知識”は

生きていく上で

必要だと思います。

文字を読むことも、

文字を書くことも、

数の計算をすることも、

歴史を学ぶことも、

音楽や美術を学ぶことも

身体の動かし方をまなぶことも...。



知...

口と矢とを合わせて

事を正しく言い当てる意を表す。

転じて

物事の道理を「しる」意に用いる。




識...

ことばの意味を見分ける、

「しる」意を表す。

転じて

「しるす」意に用いる。

・物事を見分ける。判断。

・物事を判断し処理する働き。

・書き記す。

・覚える。記憶する。




私が

知識偏重に対して

疑問や違和感を持つのは

知識が

進学や就職に際して

余りにもウェイトが

置かれすぎていて

知識が如何にあるかで

“その人自身”までをも

判断され過ぎることです。





知識が多くあることが

比較・競争・争いの

ベースになってしまうから、

幼い子ども達が

夜遅くまで

塾に通って

必死になって

数式などを

覚え込まされている...

そんな様子を見て

“何のために

勉強しているのだろう”


思ってしまうのです。





本来

“知らなかったこと”を

“知ること”は

喜びなんです。



世界が拡がるから...。




そこには、

感動さえ生まれます。




ただし、

本人が

学びたくて

自ら

得た知識で

ある場合のみ

です。




周りから

“受験のために”

“就職のために”

との

プレッシャーから

勉強していても、

感動はおろか

無理矢理させられている感で

いっぱいです。


“幸せ”とは

ほど遠い世界です。















高学歴“宗教”

大企業“宗教”

公務員“宗教”



高学歴なら幸せになれる





大企業に就職したら幸せになれる






公務員になったら幸せになれる





これって

“宗教”じゃないのか...



そう

思ったこともありました。











知識は

必要です。













“好きなことをして生きていく”

とは

その言葉を

都合の良いように解釈して

“わがまま”になる人がいますが、

そうでは無くて

“あるがまま”なのです。










同様に

“知識”は必要ないから、と

全く

勉強しないのは

もったいないように

感じます。






知識は

日常生活に於いて

“知恵”として

使えるツールとなるのです。



人との関わる幅も

拡がります。


大切なのは

バランスです。



仏教で言うならば

“中道”です。






この中道が

これから

益々

大切になるように

観じています。



あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE