私が
生きづらさを
抱えながら過ごした
40年間...
根底にあったのは
常に
比較・競争・争い
の意識でした。
それは、
私の生まれ育った背景に
強く影響されていたことも
あるとは思います。
父方の祖母からは
帰省する度に
「人に負けちゃなんない」
(人に負けてはいけない)
と
言われてきたことも
私の考え方を
強化しました。
自衛官だった父は、
自分の思うように
家族が行動しないと
すぐに
怒りを顕わにしました。
なので、
私は
恐怖心から
常に
周りの様子を
伺うようになりました。
比較・競争・争いを
全ての基準に合わせていたので、
自分の成績が良ければ、
どんなに
仲良い友達だったとしても
友達と成績を比べ、
心のどこかで
優位に思い、
自分の成績が悪ければ、
劣等感を持つ...
そんな感じで
私の心は
常に落ち着かない
生き方でした。
学生時代は
成績で
比較・競争・争いをし、
社会人になってからは
仕事の能力で
比較・競争・争いをしていました。
しかし、
教師という仕事柄
“仕事の能力”の判断基準が
とても
曖昧でした。
営業ならば
営業の売り上げという数値で
“仕事の能力”と
判断されるのかもしれません。
私は、
様々な面で
他教師と私自身を
比較・競争・争いをし
常に
心も身体も
緊張状態で
疲れ果てていたのです...。
私に無かったもの...
そして、
これからの時代を
生きていく上で
1番必要となるもの...
それが
“感謝”でした。
比較・競争・争いを
全ての基準に置いていた私は
誰かが何かをしてくれても
“当たり前”
にしか
捉えられなかったのです。
しかも、
「仕事だから、当たり前」
「教師だから、当たり前」
「夫だから、当たり前」
「子どもだから、当たり前」
その立場に於いて
行われる行動は
「当たり前」としか
考えていませんでした。
子どもが手伝いをするのは
“当たり前”
夫が妻の言うことを聞いてくれるのも
“当たり前”
教師なら品行方正が
“当たり前”
だから
自分自身に対しても
“当たり前”を
無意識に求めていました。
「私なんだから、
これくらいできて
“当たり前”」
理想の教師像に
私がなることも
“当たり前”だと
無意識に思っていた私は、
現実の私が
理想の教師像に
たどり着けない
不安、焦り、怒りを感じ、
その意識が
うつ病へ
繋がっていったのだと
今なら
分かります。
2018年8月25日
私が
ロープを首にして
自殺を謀ったとき、
それが
失敗となって
一番最初に吸った
空気は
とても甘かったです。
空気は
甘いのです。
私は
その時
空気の存在の偉大さを
感じました...。
意識が朦朧とする中で
思ったことは
空気があることこそが
神様からの“贈り物”なんだ...
ということでした。
おそらく
この出来事から
私の意識が
少しずつ
少しずつ
変わっていったのだと
思います。
空気だけでは無く、
大地も
水も
空も
光も
空も
月も...
存在する
全てのものが
神様からの
“贈り物”とするならば、
そこには
もう
感謝しか
ありません
でした...。
そうすると
目の前に居る人も
起こる出来事も
全てが
“贈り物”と解釈するように
なってきました。
目の前の人を
自分の思い通りにしようとする
考え方が
いかに
エゴかが
分かるようになってきました。
感謝する相手に
自分の思い通りに動かそうとする
意識が
働くはずもありません。
地球の波動が
高まった今、
自分の波動を
地球に合わせていくと
共振して
想いが
どんどん
現実化していきます。
地球の波動は
愛とか感謝とか慈悲とか
そんな想いと
近しいと思います。
そして、
“感謝”をベースに
日々を過ごす人が増えれば、
この世界は
さらに
輝きを増していく...
そう信じながら
今日も
文字を
綴ります。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル気功師MOE