昨日
母が
野菜を持ってきてくれました。
玄関に着くなり
「はぁ~」と
ため息。
次の言葉は
「はぁ。疲れた。」
わざわざ
野菜を持ってきてくれたので、
コーヒーでも...
と言ったら
「よかよか。要らん」
と返答されましたが、
「私が飲みたいから」と
コーヒーを入れました。
素晴らしいです。
まるで
その言動を通して
私に
学ぶ機会を与えてくれている...
そんな時間になりました。
開口一番に
出てきた言葉は、
私の弟と義妹の話でした。
「わざわざ
福岡に
野菜を持っていっても
玄関先で
“帰れ”って
野菜だけを置いてきたり
お茶も飲ませてくれん。
あの嫁は
全く
料理も作らず
朝から
菓子パンを
子どもに与えるなんて
もうちょっと
食べ物について
考えて欲しかね。
親戚のとこに
野菜を持っていった時には
必ず
箱菓子とか渡されるから
逆に
気が引けるとよね」
私が
コーヒーを出そうとしたら
お母さん
あなたは
拒否していましたが...?
言っていること
矛盾してるようですが...?
と
突っ込みそうに
なりました。
さらに、
愚痴は
続きました。
余りにも
凄かったので、
エネルギーチャージを
することにしたのです。
こんなことは
初めてでした。
エネルギーチャージを
いくらしても
エネルギーが
漏れているのです。
それは、
そのはずです。
エネルギーチャージの
最中に
母が口にしていたのは
不平
不満
愚痴ばかりだったのです。
全ては
心次第なのです。
私は
約5分ほど
エネルギーチャージしましたが、
まるで
底の抜けた洗面器に
水を溜めるような
感じでした。
もう
お手上げでした。
私は
ネガティブ感情を解放する
アロマと
ネガティブ感情を
ポジティブ感情へと
転換する
アロマの2本を
母に手渡しました。
例え
親子であっても
夫婦であっても
相手を変えるのは
不可能です。
むしろ、
親子や
夫婦の関係で
距離感が
近ければ
近いほど
相手を
変えるのは
非常に
難しいのです。
それは、
上江洲義秀先生ご自身も
お母様との関係で
同じような体験を
されていました。
よかれと思って
母は
弟と義妹に
色々と
言ってしまうのでしょうが、
言えば
言うほど
逆に
嫌悪され
離れていくのが
人の心情なのです。
人は
他の人に
指図されたく
ありません。
いつだって
自分自身の意思決定のもとに
人生を
歩んで生きたい
本能的な
欲求を
持っています。
自分を振り返ったら、
分かります。
事細かに
他人から指図されたら、
嫌になりませんか?
しかも、
勝手に指図しながら、
その通りにしないと
怒りを露わにするのです。
指図される側からしたら
“いい迷惑”です。
過去と他の人は
変えることが
できません。
だからこそ、
自分自身の心の在り方を
もう1度振り返り、
自分の世界の中で
自分の心を充たし
自分自身が幸せでいたら
自ずと
未来は
変わっていくのです。
自分自身が
幸せでは無いから
とかく
周りに
目が行くのです。
そして、
人を変えようとするのです。
例えて言うなら
受験に失敗した母親が
自分の心の充たされ無さを
解放したいがために、
子どもに対して
過重な期待をし
勉強のプレッシャーを与え、
目指す大学や
就職先へと
促すようなものです。
子ども自身が
勉強が好きで
親の思う大学や就職先に
行きたければ
よいのですが、
子どもの気持ちを
ないがしろにしたまま
親が
一方的に
勉強を押しつけ続けた結果
将来的に
引きこもりや
精神的疾患や
健康を害し、
生きづらさを抱えて
日々を送る人も
少なくはありません。
想いを言葉にできない子どもの
精一杯の
自己表現です。
想いを言葉にしたとしても、
親が
たたみかけるように
言葉で
子どもを押さえつけるのならば、
子どもは
表現しようもありません。
だから、
親との関わりを
避けるのです。
子どもは
どれだけ
心が傷ついたのでしょうか...。
私は
母の話を聞いてはいましたが、
感情的には
きちんと
距離を置いていました。
母は、
話をしたことで
ネガティブ感情を
多少なりとも
解放したようでしたが、
母が帰った後
私は
死んだように
眠りに落ちていきました。
事の一部始終を聞いた夫は
「上江洲義秀先生が
言っていたよね。
吸う息は“愛”
吐く息は“毒”」
母について
良い、悪いでは無いのです。
母は
その姿を通して
深い学びを
私に与えてくれているように
感じています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE