私にとって

譲れないもの。

それは、

社会の中で

○○になったら、

必ず幸せになれるとか、

親から

刷り込まれた価値観とか

(安定した仕事が大事など)

そんな周りの声を

基準にしたものでは無く、

幼少期から

既に

胸に抱いていた

想いを

現実にしていく

ことでした。






それが、





“人は何故生まれたのか”

“人は何故生きているのか”

その答えを

体験を通して

納得し、

人と

その答えを

共感し

笑顔になること。




それは、

小さかった私にとって

とても

大切な想いでした。

その答えさえ分かれば、

私は

生まれてきて良かったと

心底思えたでしょう。





しかし、

3歳だった私に

母は

「そんなこと聞くなんて

 あんたは変な子ね」


言いました。




小学生となり、

友達に聞いたら

「そんなことは、

 大人になったら

 考えるんだよ。

 変わってるね、

 そんなこと言うなんて。」


言われました。


だから、

私は

大人になったら

人が生まれてきた理由や

人が生きている意味が

分かるんだと

未来に希望を託しました。



ところが、

高校受験、大学受験など

比較・争い・競争を

ベースにした

学校教育体制の中で、

私は

私の内側を見ることよりも

私の外側を見ることに

常に意識がいくように

なってしまっていました。

その頃になると

何故生まれたのか

何故生きているのか

そんなことは

どうでも良くなっていました。

そんな私が

教師となりました。

子ども達の目に見える行動で

子ども達を評価し、

○○すべきである、

△△してはならない、

常に

型にはめようとしていました。

型にはまらない児童は

時に

厳しく叱責しました。

そして、

教師だった私は

一見

問題行動と見える行為を

児童や保護者の責任転嫁

していきました。

私自身も

教師として

目に見えるもので

自分自身をジャッジしました。

「できる教師」

「できない教師」

この2つの狭間を

気持ちは

行ったり来たりしていました。

そして、

常に周りの目を気にし、

怯えていました。

こんな私に

そもそも

真の教育なんて

できなかったのです。



何故生まれたのか

何故生きているのか



その答えを

知らないままに

教育なんて

できるはずもないのに、

私は

コンパスも持たずに

大海原を出てしまった

船の船長のようでした。

目的地が

分からないままに

大海原に出てしまったら、

命を落として

しまいかねないのに...。







教師を辞めてから

ハッキリと

分かりました。




人は何故生まれたのか

人は何故生きているのか









人は

自ら望んで

体験を通して

学びたいから

生まれてきたこと






体験を通して、

自らを愛おしみ、

そして、

周りの人をも

幸せにしていく

行動を拡げていくために

生きていること




これが

答えでした。




だから、

何かをするときの

行動判断基準を

自分も

人をも

笑顔にすることに

焦点を

合わしていけば

迷うことは

無いのです。

ただし、

自分がよかれと

思うことと

相手が喜ぶことには

温度差が

あることがあるため

そこは、

お互いの気持ちを

すり合わせしていく

必要があります。

自分自身の思いだけを

相手に押しつけていくのは

“エゴ”です。




そうやって

自分の本当の使命を

思い出したら、

不思議なくらいに

流れが変わっていきます。

目に見えない方からの

サポートも

多く受けられます。

素敵な人との出逢いや

思わぬ所で

必要な情報を得たりします。

御縁が御縁で拡がり、

笑顔がどんどん

生まれていくのです。




その時に

思ったのです。








生まれてきて

生きていて

良かった、と...。












あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE