明らかに
その行為をしていたら、
その行為をしている
本人だけでは無く、
周りの人にも
何らかの
不快な感情や
危険が生じる可能性がある...
それを
本人に
きちんと
伝えられるかどうか...
それが、
本当の意味での
“優しさ”だと
私は
思います。
教師だった頃、
他の教師から
「磯村先生が
怒っているのを
見たこと無い」
と
言われたことがありました。
確かに、
必要以上に
声を荒立てたり、
強く言ったりすることは
ほとんど
ありませんでした。
もしも、
危険な行動などに
発展しそうだったり、
何らかの
トラブルが
起こりそうだったら、
ややトーンを落とし、
あえて
ゆっくりした口調で
諭すように
きっぱりと
言い切っていました。
障がいがあろうと
無かろうとも、
ダメなことは
時に
厳しい雰囲気をあえて醸しだし
言葉少なに
伝えていったのです。
自分の思い通りにならないときに
自傷行為をする
児童がいました。
でも、
自傷行為をしても、
その子どもの思い通りには
ならないことがある。
何より
自傷行為による
意思を通そうとするやり方ではなく、
お互いが
氣持ちよく
想いを理解し合える
方法を
繰り返し
提示していきました。
時に
厳しさが
必要でした。
ところが、
学校現場を
離れた私は
違いました。
“教師”という
立場では無い私は、
我が子以外の子どもが、
危険な行為などをしていても、
何も
言えなかったのです。
それは、
もしも
何か言ったら、
私自身も氣持ち良くないし、
他の子どもの親から
私自身が
“何か言われるかもしれない”
自分自身を守ろうとする
エゴが
働いていたから、だと
当時から
何となくは
分かっていました。
そして、
何より
面倒くさい
そんな氣持ちが
根底には
ありました。
教師としての
立場を離れた自分は、
何も
できない人間でした。
私は、
どれだけ
教師という立場に
依存していたのでしょうか。
自分自身に
自信が無かったから、
立場や
肩書に
依存していたと
今なら
よく分かります。
自信が無かったから...
もっと
言うならば
自分自身が
大嫌いだったから、
周りに対して
思ったことや
考えたことを
表現することが、
できなかったのです。
否定されるのが、
怖かったから...。
それが
例え、
子どもだとしても...。
本当の優しさは
自分と周りの人との
枠を超えて
存在するものだと
思います。
その行為をしたら、
明らかに
危険だし、
何らかの
マイナスが生じてしまう...
「他の人のことだから
関係ないよね」
これが、
自分と周りの人との枠(線引き)です。
でも、
本当の優しさがある人は、
他の人の行為が
何らかの危険が生じると
予測できたときは、
時に
きっぱりと
言い切る強さを
持っています。
「それは、
止めた方がいい」と。
優しさとは、
常に
笑顔で
“いいよ。いいよ”
と
言う人ではないです。
必要あらば、
時として
厳しさを持って
例え
自分が嫌われたとしても
言うべき事は言う
強さと覚悟のある人だと
私は
思います。
それを
私に教えてくれたのは
北海道の
鳥居一頼先生でした。
私が25才の時に
教員採用試験の
2次試験の面接の指導を
して下さった方です。
福祉教育や
ボランティアについて
深い知識と経験を
お持ちです。
私が
尊敬しているお一人でもあります。
かつて、
長崎県佐世保市で
鳥居一頼先生が
中学校や高校で
公開授業をされるのを
見に行きました。
その時の高校生の態度は
決して
良いものでは無かったのです。
そのまま
授業を進められるのかな...と
思いきや
鳥居一頼先生は、
厳しく諭されました。
しかしながら
その声は
かなり大きいのもあり、
高校生は
確かに
私語を止めたのです。
(そこまで
大きな声でなかったら
おそらく
高校生も
話を聞かなかったと
思います)
その後
鳥居一頼先生は
「大きな声を出して
申し訳なかった」と
すぐに言われました。
時間をおかずに
自分の非を認め
謝るという行為に
移せる人も
私自身の
周りに
ほとんど
いませんでした。
鳥居一頼先生の授業は、
宝石のようにキラキラして
引き込まれていきますが、
何よりも
そんな行為の一つ一つに
“優しさ”を
感じました。
今日も
1日が
始まります。
今日は
どんな
“優しさ”に出逢えるのか
本当に
楽しみです。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE






