私が
沖縄で連泊した宿の奥様は
いわゆる
“スピリチュアルな人”
でした。
そして、
私に
“スピリチュアルな話”を
してくれたのです。
「あんな
レプティリアンっていう
爬虫類系の宇宙人が
いてんねんな。
で、
それが
地球の人間を支配してんねん。
人間の恐怖とか怒りとかを
奴らは
エネルギーにして
生きているから、
人間は
恐怖とか怒りとか
埋め込まれてるねん。
あとな、
人間が死んだら、
地獄があるんやけど、
生きている人間界と
同じやなんて。
受験を苦に自殺したら
あの世でも
受験地獄と同じ心境が
繰り返されるんて。
人間はな、
生まれたときから
人生が決まっていて
占いで
それが
全て分かるんやわ。
だから、
例えば
人間関係が苦手な人は
苦手なままやし、
お金もな
人生に於いて
手にする額って
決まっているんやで。」
こんな話を聞いた私が、
もしも
自分自身に起こった
白龍が見えて話をしたり、
過去生が見えたり、
幽体離脱して
宇宙から地球を見たり、
ワンネスの境地を体感していなかったら
彼女の話を鵜呑みにして
スピリチュアルが
嫌いになったと
思います。
なぜなら
“幸せじゃないから”
彼女は
宿泊者には
無料で
占いをしますと
言っていましたが、
私が
占いを
受けることは
ありませんでした。
なぜなら、
彼女が
幸せそうには
見えなかったから...。
スピリチュアルは
目に見える世界より
遙かに幅が広いです。
その全てを理解するのは
私には
到底
不可能です...。
幼少期に
亡くなった方々が
見える子どもだった私は、
見えても
聞こえても
何もできなかったので、
ただ
ただ
怖かったのです...。
しかも、
幼かった私は
見えない方々が
“普通に”
見えていたので、
“見えることが普通だ”と
思っていました。
でも、
そうではないと
私は
母の一言で
知ることになりました。
「あんたは、変わった子ね」
その言葉は
私の胸に刺さり、
そして
私は
見えない方々の話を
他の人へは
しなくなっていきました。
長男を産み、
見えない方々の姿は
見えなくなりました。
それは、
私にとって
とても
生きやすく感じました。
ところが...
3番目の子どもを産み、
1年2ヶ月して
学校現場に復帰してから
変化が
やって来ました。
原因不明のめまいで、
自分で歩いて
トイレにさえ
行けなくなりました...。
学校に行けなくなった私は
療養をしている時に
氣功が
使えるようになってから、
世界が
変わり始めました...。
目に見えないものが
再び
見えるようになったのです。
でも、
それは
弥勒菩薩だったり
白龍だったり
光だったり
時に
天使だったり
幼少期に見えていたのとは
全く別物でした。
そして、
触れた方から
その人の過去生が分かることも
幼少期には
無かったものでした。
自分自身が
自分の過去生を知ると
とても
生きやすくなりました。
その時に
知ったのです。
スピリチュアルには
ホンモノと
ニセモノが
あるということを...。
ニセモノは、
見えない世界の話をすることで
相手に
不安や恐怖を与え、
自分に依存させます。
例えば、
『〇〇買わないとさらに不幸になるよ』
『◇◇を伝授したら、もっと幸せになるよ』
依存させて、
高額なお金を求める人も居ます。
そのやり方から
スピリチュアルを
宗教だという人もいます。
ホンモノとは
その人の内側には
必ず解決できる力があり、
自分の考え方や
捉え方次第で
いくらでも
状況を解決できるのだという
想いを生み出させてくれるもの。
そのツールとして
氣功だったり
サイキックだったり
目に見えない力を
活用するに過ぎません。
マスターヒーラーERIさんは
言います。
私は、
スピリチュアルという言葉は
好きでないので使わないのですよ。
明治の祖母に育てられた私には、
近年皆さんが
スピリチュアルと
言っていることは、
日常において
当たり前ことを
言っているように
思えて...
日本の私の友人たちが、
日本で
スピリチュアル
という言葉を
使う人に限って
ろくな人はいませんよと、
もう15年以上前に
教えていただきました。

私も
時々ではありますが
スピリチュアルに
関するブログを読んだとき
「???」
と
思うこともあります。
大切なことは
何かや誰かを
鵜呑みにして
依存することではなく、
いつでも
まずは
自分で考えることだと
思います。
その上で、
参考程度に
スピリチュアルを
取り入れたり、
心理学だったり
哲学だったり
幅広い見知から
自分の考えを
1歩引いて
見ていくことだと
感じています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE