“お金が無い”
“愛が足りない”
“学歴が無い”
“地位が無い”
“時間が足りない”
無い
無い
無い
無い...
足りない
足りない
足りない
足りない...
外側ばかり
追求していくと
目に見えるものしか
信じられなくなり
“無い”
“足りない”に
焦点が向いて
しまいます。
そうすると
やってくるのは
不安
焦り
迷い
羨望
嫉妬
怒り...
もちろん
心は
平和ではありません。
束の間に
“お金を多額に手にして”
安心感を得たとしても
時間が経てば
また
“お金が無い”
と
不安が戻ってきます。
不安は
やがては
恐怖にまで
なっていきます。
“無い”
と
思うから
求めてしまう...。
まさに
昨夏の私です。
でも、
“お金”は
あくまでも
エネルギーが形になったに
過ぎません。
感謝の想いというエネルギーが
紙幣や硬貨として
形になっただけなのです...。
私は
自分の中に
どれだけ
“お金”に対する執着心があり、
そのことで、
自殺をしてしまうくらいに
気持ちが
追い込められてしまうのかと
感じたことは、
教師時代には
気付かなかっただけで
実は
無意識のうちに
内在させていた
根深い想いだったことを
教えてくれました。
“読み書き算数”を
主眼とする
現在の教育は
外側の教育だと
上江洲義秀先生は
言われていました。
一方で
本質に導く教育は
内側の教育だと
言われていました。
本質とは、
私たちは
本来が
“愛そのもの”であり、
この愛を
自分自身が
理解し、
愛を
行動を通して
周りに拡げていくこと。
実は、
自分の内側にある
“苦しみの原因”は
私とあなた
国柄
価値観など
自分と他人は
違うという
分離感
から
生み出されるのです。
相手と自分が違うから、
相手が泣こうが苦しもうが
関係ない。
国が違うから
よその国で
戦争が
起きても
関係ない。
これが、
分離感です。
でも、
本来
私たちは
全て繋がっていて一つなので、
相手を苦しめることは
他ならぬ
自分を苦しめている行為となって
自分自身を
傷つけているのです。
分離感は
“お金と私”
別物だという意識も
生み出します。
お金は
物質
人間の私は
生き物。
別物だ...。
目に見えるものしか
信じていない人は
目の前にある
お金に囚われて
“無い”
“足りない”
となるのです。
でも、
“お金”も
“私”も
同じエネルギー体で
ただ
形になって
現れたにすぎないと
感覚として
判ってくると
“足りないことなど何も無くて
既に
充たされていた”
という気持ちになってきます。
すると...
充たされた気持ちから
感謝の気持ちになったとき...
意外な方から
“お金”がやって来るのです。
あるいは、
“お金”ではなくとも
具体的な
“物”として
やってくることも
あります。
そう
全ては
繋がっていて
全ては
もう
充分に
充たされている
世界なのです。
これが
内なる教育の
ごく
一部です。
「足りない」
「無い」
と思う者は
さらに
奪われ、
「感謝の想いを持ち」
自ら与える人は
さらに
与えられる...
これは
宗教では
一切ありません。
全ては
充たされているのです。
“足りない”のは
感謝の気持ちだったのです。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE