見えない世界のものが、

もう物心ついたときには

“普通に”見える子どもでした。

また

時には

聞こえる子どもでした。


その見えるものも

聞こえるものも、

この世に何らかの想いを

強く残した方々ばかりが

見えていた子どもでした。




見えることが

“普通”だと

思って

両親に伝えていましたが、

どうやら

他の人には

見えていないと

肌で感じ始めたとき、

私は

周りの人へ

話すのをしなくなっていきました。





見えない世界のものが

“見えたり”

“聞こえたり”

することを

「スゴイ」

とか

「自分もそうなりたい」

とか

言われたことがあります。




でも、

幼い頃から見えていた

私には

見えても

聞こえても

何もできなかったし、

むしろ

恐怖でしか在りませんでした。







そんな力が無くなったのは

長男を

出産してからでした。


何となく

“この場所は

気持ちが良い”

とか

“この場所は

気持ちが悪い”

というくらいの感覚で、

全く

見えないし、

聞こえない

状態となりました。




それは、  

とても

楽なことでもありました。










3番目の娘が生まれて、

学校現場に復帰して...

それまでとは、

大きく変わっていきました。

3、4時間に及ぶ夜泣き、

片道1時間の運転による通勤、

学校現場での

怪我や事故を起こしちゃいけない

強い重圧感...

そんな日々を

過ごしていた結果、

私は

倒れました...。

酷い目まいで

トイレにさえ

立って歩いて行くことができず、

結果

お休みを

戴きました。

2016年10月の話です。

約3週間ほど

休んだ後

復帰するものの

2017年1月には

再度

同様の症状により

私は

年度末まで

休みを取ることにしました。



その間、

氣功が

伝授され、

症状は

消えていきました。


毎日

念仏のように

「ありがとう」を

言っていた私に

不思議なことが

起こり始めました。

花や木が

私に話しかけてくるように

なってきました。

さらには、

神社に参拝していたら

弥勒菩薩が出てきて

私に近づいた...

っと思ったら、

弥勒菩薩は私の身体にぶつかり

私の内側からは

光が輝き始めました。

それから、です。

過去世が見えるように

なってきたり、

白龍が

傍に付いてくれたり

見えない世界のものが

再び

見えたり

聞こえたり

するように

なってきたのです。









私は、

見えたり

聞こえたりしなくても


ここにある

自分自身を

愛せて

幸せであれば

どちらでも

同じだと

思っています。

見えたり

聞こえたりしていても

幸せで無い人は

たくさんいます。

誰かと争ったり、

自分を誇示したり、

もしくは、

不安に陥れたり...。



だったら、

見えなくても

聞こえなくても

穏やかに

笑っていた方が

遙かに

自分も

周りも

幸せです、きっとおねがい

どんな感じ方も

個性であり、

それを

楽しんでいけたらいいのだと

思っています。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE