私が

“私”として

生きていけるように

なれたのは、

周りの目を

気にすること無く

あるがままの

私の想いを

素直に

正直に

表現できるように

なってから、でした...。



それまでは、

何かを感じたり、

思ったりしたとしても

「これを言ったら

 何て思われるだろう」

とか

「周りと違うことしたら

 浮いて見えてしまうし」

とか

「周りから批判されたら嫌だな」

とか

自分の内から

沸き起こる想いより

周りの目ばかりを気にし、

自分を

守るために

周りの色に

何色にでも

変身していました。

そう

それは、

まるで

カメレオンのように...。

次々に変わる

私の考えは

周りに影響されすぎて

やがて、

私は

私が

誰なのか

分からなくなっていきました...。



学校現場では

それが

特に

顕著に表れていました。

目の前の子どもに対して

「Aがやりたい」


思ったとしても、

複数担任制の

特別支援学校では

教員のチームプレイ故に

Aではなくて

Bを子どもに対して

しなければならないとき、

これが、

子どもにとって

本当に必要なことなのか、

それとも

教員が

自分の立場を

誇示したいために

やろうとしているのか

その狭間で

苦しむことが

多々ありました。

いえ、

きっと

“私”は

どう対応したら

良いのかなんて

目の前の子どもを見たら

分かっていたのです。

分かっていながらも

自分の保身のために

教員との関係を

氣まずいものには

したくない...

という想いが

Aという行動では無く

Bの行動になって

現れました。




心で想うことと

行動との間に

ズレが生じた状態が

長く続くと

やがて

私は

うつ病となりました。





でも、

うつ病は

私に

教えてくれていました。

“私は

私らしく

生きているの?

その生き方、

間違っていない?”




人生の方向を

修正してくれる

身体からの

そして

心からの

愛ある

メッセージだったのです。





教師を

13年間しました。

その体験があったからこそ、

人に

自分の想いを

どのように伝え、

共に

尊重しながら

お互いを

高めていけるには

どのような

体系を創り、

どのような

学びの場として

実施していくのか

自分の創りたい

新しい形の

“学びの場”への

原動力と

なっていきました。






私が

私らしく

生きられるように

なったのは、

間違いなく

ピラミッド型の

組織から離れ、

上から

抑圧されること無く、

自由に

表現できるように

なったからです。




肩書きも

地位も

今の私には

何も無いからこそ、

それらに囚われず、

広い空を

想うように

羽ばたいているように

感じています。













あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE