セドナの熱が

なかなか冷めません照れ

セドナの

ベルロックに

登った初日から

ボルテックスに触れて

心身共に

今までに無い

感覚がありました。



で...

私は

こう言ったのです...。

「ボルテックスの

 エネルギーにあたった...。」






すると

マスタヒーラーERIさんが

「あたった

 じゃなくて

 浄化って言い方の

 方がいいよ」




人って

常日頃

思うことが

言葉に表れます。

言葉に

その人の人柄が

そのまま

現されるのです。



教師をしていて

子どもや保護者を

見ていて

分かったこと...





子どもが

「ふざけるな!!

「何してやがる!!


休み時間に

子ども達同士で

言っている場合

かなり

家庭でも

荒々しい言葉が

使われていて、

それは

保護者が

どう取り繕っても

その雰囲気までは

誤魔化せないのです...。




言葉は

無意識の自分を

現すのです。





ただ、

言葉は

非常に

難しいものがあります。




なぜなら、

言葉が育まれてきた

その人の

人生の背景が

一人一人

違うため

同じ言葉でも

受け止め方や

解釈の仕方に

若干の

温度差が

生じてしまうのです。



例えば...

私は

“頑張る” とか“頑張って” の

言葉が

余り好きでは無いのです。

それは、

幼少期から

常に両親から

「頑張れ」「頑張れ」

と言われ続け

自分自身も

頑張るよう

自分で自分を

追い込んだ結果...





うつ病となりました...。






だから

「頑張れ」は

余り好きでは無いのです。







しかし、

夫は

違います。

「頑張れ」を

“一生懸命に取り組む”

と解釈しています。

だから

「頑張れ」に

悪いイメージは

ありません。







言葉は

非常に難しいものがあるため、

解釈にあたっては

お互いのすり合わせが

とても

大切になってくるのです。



また

自分で使う言葉を

「疲れた」

とするのか

「よくやったね」

とするのかでも

心身への影響も

変わってくるのです。









古代は

実は

言葉は存在しません。

一種の

テレパシーみたいな感じで

意思疎通をしていました。

だからこそ、

嘘偽りがつけないのですが、

誤解が生じにくい世界でもありました。

今でも

私達に

少し

名残があります。

目の前に居る人と

話を始めようとした途端、

「あっ、それ。

 今、私もそう思っていたのおねがい







言葉とは

不思議なものですね...。








あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE