自分が
自分のことを
受け容れきれず
大嫌いだったとき...
私は
愛を
周りから
奪うことばかりを
考えていました。
愛とは...
優しい言葉や
親切な行為、
あるいは
自分を賞賛するものごと、
時には
それが
物になることも
ありました...。
自分で自分の心を
充たすことができなかった私は、
周りのもの(愛)を
いかに
自分の物としていくかで
必死になって
獲得しようとしていました。
それは
わずか三才くらいから
もう
始まっていました...。
弟が生まれたからです。
“普通”は
お姉ちゃんは
弟に対して
「可愛い」と思い
お菓子があるなら
半分こ
もしくは
多い方を
弟に与えたりするそうです。
しかし、
私は
自分自身の心が
常に
充たされていなかったために
分け与えることに
強い抵抗感がありました。
弟が居ても
騙してでも
多い方を
自分が取ろうとするか
あるいは
全部を自分の物とするかで
必死でした...。
家族で食べる鍋も
そんな感じでした...。
いわゆる
自分の好きな食材は
早い者勝ちで
取っていくのです。
弟へ
「はい。どうぞ」
と
言った記憶が
全くないのです...。
セドナへ行き
いとこのYや
マスタヒーラーERIさんと
毎日を過ごす中で
私が
“普通に育った家”は
どうやら
“普通”ではないことに
氣がつきました...。
あぁ
確かに記憶にありました。
「人に負けちゃなんたい」
(人に負けてはいけない)
そう
父方の祖母は
口癖のように
私に言い、
そんな祖母に育てられた父は
常に
競争の世界に生きる
自衛官でした...。
自分が認められるのは
良い成績を取ったときだけ...
私にとって
学校に在籍する
同級生は
ライバルでした。
常に
心安まるときは
ありませんでした...。
自分自身が
教師になってからも
“教師の世界”でさえも
比較、競争、争いをベースとした
教育体制は
続いていました...。
“universal love”を
学ぶように
セドナで言葉を
戴きました...。
その
universal loveを
地でいっていたのが
夫であり
子ども達だったのです...。
彼らは
私の人生のガイドだったのです...。
私にとって
奪うから
与えるに
変わっていくことは
まずは、
私の体験を通して
学んだことや
氣付いたことや
感動を
文字として
綴ることで
悩んだり
苦しんだり
自分を責めたり...
そんな世界から
周りの方々が
少しでも楽になれるように
そんな役割が果たせるように
行動に移すことでした。
誰だって
自分が傷ついたことを
人には
知られたくありません。
レイプ未遂などは、
1か月前の私は
自分の記憶にさえ
あがってこないほど
苦しく悲しく傷つく事でしたが、
でも、
自分だけが
苦しく悲しく傷つく事を
体験したのでは無くて、
きっと
声に出さないだけで
多くの人も
苦しく悲しく傷つく事があるはず...。
だったら、
そのことについて
まずは、
私から
表現し、
体験から
今
ここに
どのように
生かしていくのか、
未来を
創造していこうとするのか、
それを
記すことによって
ブログを
目にする人の心が
少しでも楽になり、
自分自身を
受け容れ、
好きになっていける
役に立てるなら...
それが、
私の
奪うから与えるへ
変化してきたことでした...。
大きな事は
何一つしていません。
でも、
行動としていくことで
必要な方の元に
思いが届くことを
信じながら
今日も
文字を綴ります。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE