教師をしていた頃、









朝
起きるとき
「はぁ、嫌だ。
仕事行きたくない
」
そう思いながら
重たい身体を
何とか
やっとこさの思いで
無理矢理
起こしていました。
起きてすぐ
義務感から
朝食を取りました。
もちろん、
食欲なんて
全く
ありません。
何か
塊を口にし、
塊は
胃に
ドカンと落ちてきて
とても
重かったのです。
朝
玄関の
ドアノブを
手にするとき
ため息1つついて
一歩を出していました...。
そういえば、
寝起きから
深い呼吸なんて
全くしていませんでした...。
片道
約1時間の
通勤のため、
車の運転をします。
雨の日は
1時間半
かかるときも
ありました...。
熊本市内の
半端ない渋滞は
常に
緊張を
強いられていました...。
学校へ着くと
大きな木を見て、
“また1日始まります。”
と
心の中で
手を合わせます。
そして、
向かうは
様々な波動が
渦巻く
職員室...。
毎朝、
ここに入るために
どれだけの
気力を使ったことでしょうか。
必ず
大きな深呼吸を
していました。
1日の中で
1番
身体に
力が
入る瞬間でした...。
パソコンを立ち上げ、
必要な情報など無いか
チェックします。
すぐに
職員室は
後にして、
教室へ
向かいます。
窓を開けて
ほうきを持って、
掃除をしていました...。
窓を開けること、
掃除をすること、
これだけで
自分の心を整え、
不思議と
児童の言動が
落ち着くことも
少なくはなかったです。
なぜなら...
掃除をしなかった日と
比較したとき...
何故か
今日は
児童がイライラしたり、
荒れているという日が
掃除をしないときに
多かったのです。
いくら
氣持ちが沈んでいても
児童の前では
最幸の笑顔であろうと
していました。
「磯村先生が
子どもを怒っている姿を
見たことがない」
と
言われたことも
ありました。
児童がいる時間は
怪我や事故が
無いように
神経を張り巡らせ、
様々な
動きを
事前に
予測しながら
指導.支援していきます。
この時です...。
私は
私の指導.支援することに対して
“周りの教師はどう思うだろう...”
と
常に氣にしていました。
まるで
ピンと耳を立てて
周りにおびえている
ウサギのようでした...。
9時に登校
15時に下校の
特別支援学校の
児童生徒達...。
児童生徒がいなくなると、
一気に
力が
抜けました。
抜けましたが、
これからが
一仕事でした...。
教材の準備、
1日の記録、
作成しなければならない書類、
必要かどうか分からない
かなりの数の会議や研修...。
休憩時間なんて
ありませんでした。
17時には
あがらないと
保育園のお迎えには
間に合わない...
私の
時間は
限られていました。
そして、
退勤の17時になるときは、
ここでも
周りの目を気にしながら
帰宅の途につく
私がいました...。
家に帰ったら
グッタリ...でした。
呼吸を
ほとんど
していなかった私は
身体が
ガチガチに
堅くなっていました。
しかも、
呼吸が
出来ていないことは
脳への酸素供給も
滞りが生じていたので、
頭で考えようとしても
なかなか
考えが
まとまりません。
考えたとしても
ネガティブな考えが
かなり
多かったです。
ネガティブな考えは
自律神経にも
影響を
与えていました。
*お腹が便秘か下痢になる
*常に身体が重い
*頭が回らない
*周りの目が非常に気になる
*人から何か言われるのではとビクビクしてる
*判断能力が低下し、
人の判断に依存する
*風邪など病気をしやすい
*基礎体温が低い
*生理痛がひどい
*夜眠りに入りづらい
*眠りが浅い
*夜中に何度も目覚める
*朝はなかなか起きられない
*偏頭痛が度々ある....
もっと
出てきそうなくらいに
私の身体も心も
ボロボロでした...。
この時の私は
私のことを
あるがままには
受けいれられて
いませんでした...。
私は
私が
嫌いだったのです。
他人軸の生き方は
安定のない
フワフワした
周りからしたら
“八方美人”とも
見られるような
私でした...。
周りの目をする
神経は
私の身体を
ガチガチに
していました。
でも、
緊張していることにさえ
気付かないくらいに
もう
感覚が
麻痺していたのです...。
何が好きなのか
嬉しいのか
愉しいのか
悲しいのか
むなしさなのか
怒りなのか
切なさなのか
憤り...
もう
感じることが
面倒くさくなっていました...。
私は
目を開けたまま
眠り続けていた人でした。
②へ続く





