私の父は

自衛官でした。

高校卒で

自衛官となったため、

幹部になるために

大卒とは違った

苦労があったようです。

自衛官という

厳しい規律が

求められる環境も

影響していたのでしょうか...

仕事から帰ってきた父は

いつも

不機嫌でした。




そして、

母は

昔から

思ったことを

「相手の気持ちを推し量ることなく」

言葉にする傾向がありました。



母の言葉には

いつも

鋭さがありました。




そのため、

その言葉は

母の周りにいる

父や

私や

弟へ

与えられ、

特に父とは

かなりの頻度で

衝突していました...。



父から

よく

出ていた言葉は

「いつでも別れていいんだぞ」

でした。
 
しかし、

経済力が無かった母は

離婚せずに

過ごしました...。




「あんたたち(私と弟)さえ

居なければ、

お母さんは

お父さんと

別れられるのに...






それこそ、

私の気持ちを

推し量ることなく

何の気なしに

出た言葉だったのでしょう...。










しかし、

この言葉は

長い期間、

私を苦しめることになりました。








「私さえいなければ、

 お母さんは

 幸せになれたのに。

 私は

 何で生まれてきたのだろう...。

 死にたい...。」









心理的な窮地に追い込まれると

私は

“消えてしまいたい”

衝動に駆られていたのは

この言葉も

少なからず

影響していました。









母親の言葉は

特に

子どもの人生を

幸せにも

不幸にも

してしまう

恐ろしいほどの

影響力が

あるのです。



私は

かなり

母から

叩かれていました。

また、

言葉による

威圧も

受けていました。

(それは、

 今でもありますが、

 そのことは

 夫も

 観じています。)










そして、

私は

“自分のことが

大嫌いなまま

大人になりました”。







気づくと

私は

自分の思い通りにならず、

イライラすると、

我が子に

大声を出して

感情をぶつけていました。

時には

手が出ることも

ありました。

しかし、

大声を出して

我が子を

怒鳴ったり

叩いたりした後は

必ず

強い

後悔が

やって来た

のです...。






自分が

親になって

気付きました。

私の母親は

自分自身を

受け容れきれず

自分自身が

嫌いだったということを...。

自分自身が

好きな人ならば

あれだけの言葉を

子どもにいうことは

無かったのです...。



母からの鎖の存在に

私は

気が付きました。

この鎖を

私は

切る必要があると

気付いたのは

心理学を

学んだからでした...。








しかし、

学んだことと

自分のものとして

腑に落ちることは

また別物でした...。



私が

本当の意味で

鎖を断ち切れたのは...

昨年8月下旬に

自殺未遂をし、

その後

自分の中にあった

あらゆる執着に気付き、

その執着を

手放し、

自分自身を

受け容れ

好きになってからでした。




私の人生の流れが

大きく変わり始めたのは

自分自身を

自分が

好きになることが、

頭ではなく

腹の底から

感覚として

実感できた時から...。






そこに至るまでに

41年の歳月を要しました。

でも、

生きているうちに

自分自身を知り、

自分自身を好きになることが

世界をこんなにも

変えていくことができる...

それを

知ったことは

どんな高い学歴より職歴より

素晴らしい価値があると

私は

観じているのです。



完璧でない自分だから

愛しく観じます。

完璧でない我が子だから

愛しく観じます。




人は

自分を愛せる同じ程度でしか

人を愛することはできないのです。

これは、

母親が我が子に対する

想いについても

同様なのです。










あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE