山口県









そこには
素晴らしい
女性がいました。
金子みすゞです。
“鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って
みんないい”
(一部抜粋)
教科書の中には
金子みすゞが
載っているものも
あります。
でも...
私の元へ
来られる方々の
多くは
“これを言ったら(人を)傷つける”
とか
“これを言ったら状況が悪くなる”
とか
“私さえ我慢すれば...”
などで
氣持ちを抑圧している人が
とても
多いのです...。
抑圧された氣持ちは
驚くほど
身体に
現れています...。
その背景には
私は
日本の教育の在り方に
あると
思っています。
個性を大事にと
謳いながら
そんな風には
動いていない学校...。
教師でさえも
個性なんて
許されませんでした。
会議では
沈黙という
重たい雰囲気と
無駄な時間が
流れていきました。
発言するのは
いつも
同じ人ばかり。
沈黙を守る人の
心には
“早く終わらないかな”
“言っても現状変わらないし”
“決まったことをしさえすればいい”
身体は
会議室にありながら
氣持ちは
バラバラでした。
人と違うのを
怖れて生きる...
私も
そうでした。
でも、
その生き方は
心地好くないだけでなく、
窮屈で
楽しくありませんでした。
ゴミを拾うことさえも
周りの目を
氣にしていました。
会議などで
何かを言ったら
影で何かを
言われるのでは...
そう思ったら
何も
言えなくなりました。
このブログでさえ、
私が
現役教師なら
ここまで
想いを
綴ることは
無かったでしょう...。
みんなと同じは
ある意味
とても
危険です。
それは、
1941年から
始まってしまった
世界を巻き込む
戦争の歴史を見たら
明らかです...。
平和を表現する人は
弾圧されました。
歴史を学ぶのは
受験に合格するためではなく、
大切なのは、
ある出来事の
起こる背景なのです。
年号なんて
私からしたら
そんなに
大切ではありません。
違うからこそ
氣付きがある。
違うからこそ
学びがある。
違うからこそ
多様性が生まれ、
可能性が高まる。
違いを認めない社会は
硬直化し、
やがて
衰退します。
表現してもいい。
そこまで
我慢したとして、
周りと合わせて
そんな人間関係を
ずっと
やっていきたいのか...。
仮面付けたままの
付き合いは
私には
もう
限界だった...。
結果、
教員時代の付き合いは
全く無くなったけど、
私の周りに
仮面を付けた人は
いなくなった...。
そう...
私だけが
仮面をつけて
言いたいことを
我慢して
周りに合わせていたと
思っていたけど、
周りも同様に
仮面をつけて
言いたいことを
我慢していた人ばかりでした。
まさに
類は友を呼ぶ。
今、
私の周りには
自分を素直に
正直に
表現する人が
増えました。
私と
100%同じ考えの人なんて
いません。
それが、
私には
氣付きや学びとなり
本当に
楽しいのです。
大人が
違いを認め
楽しく生きていけば、
子どもは
今より
もっと
のびのびと
想いを表現し、
より
多くの笑顔で
世界を照らし始めるように
思います。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE

