6月9日...









☯️
陰陽合一を観じる...
そう朝イチで
思ったものの
私は
何故か
イライラしていました。
理由は
分かりませんでした。
ここ数日
イライラしていて
感情のセーブがつきにくい
私がいました...。
ヒーラーなのに...

と思いながらも
そんな日もあるさ...

2つの感情の狭間を
行ったり来たりしながら
それを
俯瞰する私も
確かにいました。
その日が
終わろうとしていた
22時過ぎ...。
電話が鳴りました。
心当たりは
全くありません。
何も
考えずに
電話を取ると
男性の声がしました。
その方は
鳥居一頼さん
だったのです

驚くを超えて、
はじめは
何が起こったか
分かりませんでした...。
鳥居一頼さんは、
私が
25才の時に
神奈川県の
教員採用試験の
2次試験を
受けるときに
面接の練習などを
してくださった
当時の私には
神様みたいな人でした。
北海道にお住まいなのですが、
ボランティアについて
全国各地
講演会をされていました...。
その頃から
鳥居一頼さんの話は
私に
沢山の気付きと学びだけでは無く、
魂にまで触れるメッセージに
涙することが
ありました。
北海道では
かなり
有名な方なのでは
ないでしょうか...。









私が
イライラしていたのは、
1つは
不定期になった生理が
ありました。
でも...
もう1つは
私の内にあったのです...。
鳥居一頼さんの電話は
まさに
そこを
鋭く付いたのです...。
教師を辞めて
人を癒すヒーラーとなったものの、
私の中に
ある感情の塊があることを
私は
知っていました。
知っていたけど
なかなか整理できず、
もちろん
文字にも
表せませんでした。
それは、
今の
学校組織体制に対する
強烈な
怒り...。
だから、
私の文章には
時として
鋭さがあり、
それが
良くも悪くも
私だけでは無く
読む方の心にも
感じるものが
あったようです...。
本を何冊も出されている
鳥居一頼さんから
指摘されました。
鋭さを丸くするのは大変だ。
だったら、
はじめから丸いのはどうだろう。
あなたは
弱いから
教師を辞めたと
自分を捉えているかも知れないが
あなたは
弱いのではなく
自分の意思を
貫く強さを
持っていたから
学校を
辞めたんだ...。
今のフリーの立場だから
子ども達、
障がい児に対して
できることがある...。
そう
言われたときに
私は
泣き崩れました...。
私は
可能ならば
学校現場で
子ども達と共に
時間を過ごし
笑顔を創造したかった..
そう思っていた私が居たのです。
でも、
できないのは
自分が
心が弱く
適応できなかったから
だと捉え、
また
どこか
心に頼りなさも
ありました。
心の奥底にあった
なんとも言えない
感情の塊が
1本の電話で
優しく溶けていくのを
観じました...。
教えて欲しいこと
知らないことが
私には
まだまだ
たくさんありました。
大人も
子どもも
男女も
障がいの有無も
国籍も
宗教も
あらゆる枠を超えた
誰しもが
あるがままの
自分を受け容れて
自分を好きなまま
内に秘めた
個性を
最大限発揮し
“産まれてきて良かった”
“生きていて楽しい”
そう観じられる学びの場を
立ち上げていくのに
鳥居一頼さんの存在は
私にとって
一筋の光になったのです。
私の文章は
荒削りです。
素直であり
正直であるため
時に
読む人の心を
えぐってしまうかもしれません。
でも、
私は
誰かを傷つけようと
意図することは
全くないのです。
私が意図するのは
どれだけ
困難な状況であっても
人は
立ち上がれるし、
自分らしく生きる
本当の意味に気付いたとき
世界が
どれだけ
自由だったのか...
その喜びを
共有したいと
思っているだけです。
鳥居一頼さんから
文章構成についても
アドバイスを
戴きました。
10月...
ヒーリング等による
北海道への出張で
鳥居一頼さんと
お会いすることに
なりました。
また、
熊本県へお招きして
“教育とは”
“生きるとは”
“人とは”
そんな内容で
講演会を
して戴きたいと思い、
お招きすることも
話に上がりました。
鳥居一頼さんも...
小学校長までされながら、
定年まで
教員をされることなく、
退職されていたそうです。
その背景は
組織の在り方だったそうですが、
その当たりも含めて
もっとお話を
お聞きしたいと
思いました。
今は
北海道と大阪の大学で
教鞭を執っていらっしゃるとのこと。
人と人との出逢いは
奇跡です。
そして、
人と人との出逢いから
人生は
いかようにも
素晴らしく形作られていくように
感じています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE