氣付いた時には

私は

私が

嫌いでした。

*お手伝いできない私はダメ

*叱られる私は愛されていないから

*成績が悪い私は努力が足りない

*人に本当の氣持ちを言ったら嫌われる

*人生とは辛いことがあって当然だ



とにかく

生きづらくて

仕方ありませんでした。

自分の嫌な所なら

いくらでも

見つけられたし、

どれだけでも

自分を責め、

そんな氣持ちから

解放されたいが故に

私は

努力に努力を

重ねていました...。



だから、

私は

愉しそうにしている人を見たら

“この人はいずれ苦労する”

と思いました。

いえ

“苦労して欲しい”


願っている自分が居ました。




例えば

社会見学があった

小5の時。

その日は

社会見学の感想文が

宿題として出ていました。

私は

いつものように

帰ったら

すぐに

宿題をしていました。

私にとって

宿題とは

“しなければならない”

義務でした。

だから、

同じクラスの友人が

宿題をせずに

外で愉しそうに

遊んでいるのを

部屋から見たとき

「Nちゃん、先生に叱られたらいいのに」


思う私がいました。

自分が

自分自身を嫌い

義務感から

“やりたくないこと”を

やり続けるとき

愉しそうにする人を見たら

その人を

非難、批判します。

中には

露骨に

悪口や悪態をつく人もいます。

それは、

その人の中に

羨ましさがあるから。

本当は

自分も

愉しみたいのです。

愉しみたいけど

自分自身の中にある

固定観念が

“やりたいことを

行動に移すのを

阻止してしまいます”。

固定観念...

例えば

人に負けたくない


思う人は

必死になって

努力しますが、

愉しそうに

楽々と

好成績を取った人を見たら

「あの人は要領がいいからね」

などと言って

人を賞賛することが

できません。

それらの全ては

私自身のことでした...。



だからこそ、

あるがままの自分を

まずは

受け容れる。

そして、

そこから

自分を好きになる。

自分が好きな人は

人を攻撃することは

ありません。

なぜなら、

自分が好きな人は

幸せだから...。

幸せだから

人の喜びを

ひがむこともないし、

人から何かを

奪うことも

無いのです。

幸せだから、

むしろ

自分の中にあるものを

先に

周りの人へ

与えようとするのです。

だから、

世界の

貧困や飢餓や戦争を

本気で無くそうと

思うのなら、

まずは

自分のことを

好きになることから

始まるのです。

自分の心の中に

自分を裁く心が無くなり

穏やかさが

やって来るとき...

1人1人が

そうなれば

確実に

世界も

平和になるのです。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨

熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE