私は

リストカットの

経験者です...。

初めて

リストカットをしたのは

26才の時...。

神奈川県の

教員に採用されながらも

うつ病となり、

一人暮らしの部屋で

左腕に

包丁で

切りつけていました...。



そんなことを

ふと

思っていたら

ある曲が

思い出されたのです。

布袋寅泰さんの

“サレンダー”




音符悲しくて

 悲しくて

 涙も出ないほど

 悲しくて

 窓のガラス

 握りこぶしで割った

 手の平をつたう赤い血を

 見つめて ただ震えていた

 痛みだけが

 生命の証しだった音符






痛みだけが

生命の証しだった...




あの頃の私は

何故

自分が

ここにいるのか、


自分が

何をしたらよいのか


全く

分からず、

迷いの中にいました。




誰か

助けて

誰か

気付いて...。





そう...

私は

自分の苦しみを

誰かに

気付いて欲しかった...。

だから

リストカットをするものの

致命的な深さまでは

切り込むことは

できませんでした...。




痛みだけが

生命の証しだった...




そう...

痛みを感じることで

“まだ生きているんだ”

と思いました。




1年前も

そうでした...。

教員を辞め

人を癒すヒーラーに

なったにも関わらず、

経営学や経済学、

マネジメントを

修めていない私は

すぐに

経済的な不安に

襲われました。

ネガティブスパイラルは

そこから

抜け出すことを

さらに

困難にし、

私は

包丁を

カッターを

切れるものなら

何でも

手にして

自分を

“消そう”としました。


左腕から

流れる血を見て

「これで楽になれるかな...」

「早く消えたい...」


そう思っていました。



その気配を感じた夫は

家にある全ての包丁を

隠しました。

カッターも

切れるものは

ハサミでさえも

隠していました...。





リストカットの背景には

自分の存在価値が

感じられない

孤独感や


周りの人と理解し合えない

哀しみなどが

存在していました。





それを

救えるのは...

あるがままのあなたで

そのままで

充分な存在だよ、と

伝えてあげること...。

どれだけ

時間が

かかったとしても

信じて

信じて

信じ抜いて

待つこと...。

そんな人が

ただ

一人でも

傍にいてくれたのなら

必ず

想いは

伝わります。

私にとって

その存在は

夫でした。

26才の頃は

両親でした。



苦しむのは

きっと

あなたが

繊細だから...。

だから、

あなたは

人を責めること無く

自分を責め続けた...。

辛かったよね、

悲しかったよね、

孤独だったよね、

でも...

この体験は

あなたの苦しみだけで

終わることはありません。

苦しみを知った人は

誰かの痛みに

寄り添う優しさを

与えることが

できるように

なるのです...。

私は

あなたは

そうなる人だと

信じて

今日も

文字を

綴ります。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE