私が

教師だった頃、

テレビや新聞にあった

子どもへの虐待のニュースを見ては

虐待をする大人を

無条件に

非難、批判していました。

特に

教師をしていたため、

児童心理学

生理学

病理学

教育学

そんな類いの勉強も

好き好んでやっていたことは、

私の頭に

沢山の知識として

自分や人を

判断するための

基準の1つとなりました。




でも...

自分が

教師を辞めて、

経済的な不安から

ネガティブスパイラルにはまり、

闇を彷徨っていた時、

私は

目の前の我が子に

優しい言葉の1つさえ

かけてあげることは

できませんでした。

当時

3歳の娘が

泣こうものなら

私は

泣き声に

感情の制御が効かなくなり

娘を脇に抱え

玄関に放り投げて

あげくの果てに

私は

娘を蹴っていました...。

娘は

泣き続けました。

「パパがいい。パパがいい」




夫は

夜勤の仕事に行っていました。

夫は

家には

いません。



私は

自分が

何をしでかすか

解らない

恐怖を抱えていました。



私は

私が

解らなくなりました。




私では無い

もう一人の私が

存在しているようでした。




なぜなら

この時の記憶の一部は

完全に消えているのです。







夫は

私を

支えきれなくなり、

私を

実家に

預けました。



その時

私は

どこか

ホッとしました...。



これで

我が子に

手を挙げなくて

済むんだ...。




実家にいた私は

ほとんど

横になっていました...。




両親には

1番見られたくない姿でした。



この体験は

私に

多くの学びを

くれました。



いくら親であろうとも

自分の心に

余裕が無ければ

我が子に

愛情をもって

接することが

できないということを...。



親だから

無条件に

子どもを愛せるのか


問われたら、

自分の心が

充たされているなら

それも

可能なのかも

しれません。

少なくとも

私は

無条件に

我が子を

愛することが

できませんでした。




周りは

それを

虐待と非難、批判

するのでしょう。

かつての私のように...。






子どもを死に追い込む程の

もしくは

重篤な怪我をさせるほどの

あるいは

心理的なトラウマを生みだすほどの

親の子どもに対する行為は

認められないものかも

知れません。





ただ、

自分の考え方が

絶対的だとして

周りが批判、非難しても

何の解決にも

なりません。



大人の抱える

心の苦しみに

誰が寄り添えるのでしょうか...。


苦しみに寄り添える人が

一人でもいてくれたら

心の闇に

少しは光が差して

子どもへの虐待は

軽減するかも知れません。


子どもを

笑顔にしたくて

ヒーラーになりました。

子どもを笑顔にするために、

まずは

大人から

笑顔にしよう...

そう思いながら

今日も

ヒーリングを

行いました。



そして、

大人を笑顔にするために

今日も

文字を

綴ります。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE