確かに








厭でした...。
誰かを妬んだり
羨ましがる自分の中の
ドロドロした感情は...。
確かに
厭でした。
自分を批判する人に
正当性を持って
言い返せなかったことが...。
確かに
厭でした。
自分を苦しめる
自分の考え方が...。
だから、
楽になりたかった。
楽になれるなら、
この苦しみから
解放されるなら
いくら遠くても
足を運んだし、
いくらお金を
払ったとしても、
いくら労力が
必要だったとしても
私は
心が
楽になりたくて
追い求め続けていました。
多くの
自己啓発の本や
スピリチュアル的な本。
心理学の講座や
各種セラピー、
単発の講演会まで入れたら
果たして
どれだけの
時間と
労力と
お金を
かけてきていたのでしょうか...。
当時の私は
答えは
外側にあると
思い込んでいました。
幼少期に
学校で
「1+1は 2」
と
答えは1つだと
教えられたが故に、
きっと
幸せになる方法も
確実なものが
1つ
絶対ににあるはずだ、と
信じて疑いませんでした。
ところが
生き方が楽になる答えが
人によって
言うことが
全く
違ったのです。
特に
スピリチュアルは
目に見えないものだけに
安心したくて
手にした本が
返って
不安を
湧き起こすような
内容もあったのです。
真逆ではないかと
思えるようなことも
スピリチュアルな内容には
ありました。
教師をしていた頃は
占い師にも
みてもらっていました。
その時の
占い師が
言った言葉は
今でも
覚えています...。
「もえさん。
もえさんのうつ病に類いする
精神的な疾患は、
1度は治ったとしても
あなたは
死ぬまで
うつ病は
治らないよ。
何故なら
僕がそうだから。
調子が良いときもあるけど、
また
出てくるからね。」
この話を聞いたときの私は
うつ病ではなかったものの
また、
いつかうつ病になってしまうのか...
そんな不安(爆弾)を
いつも
抱えているようでした...。
私は
教師を辞め
人を癒すヒーラーに
なりました。
その背景には
私が
氣功を使えるようになったこと、
波動から過去生が
見えるようになっていたこと、
白龍が傍にいてくれたこと、
草や木や花々や石などと話ができること、
時に
神様が姿を現し、
メッセージを下さっていたことが
ありました。
何より
私は子どもを笑顔にしたかった...。
子どもを笑顔にしたかったのに、
子どもを取り囲む
教師や親が
笑顔では無かったのです。
だから、
私は
まず
大人から笑顔にしようと
思いました。
笑顔の大人が
たくさんいたら
きっと
子ども達も
笑顔になっていくだろう...
そう思っていたのです。
そして、
私自身が
学校組織の体制には
合わなかったこと。
月曜日から金曜日までは
便秘か下痢。
土日祝日のみ普通便というくらい
私の身体は
私の心理的な状況を
リアルに顕していました。
占い師が
私に言った言葉。
~精神疾患は死ぬまで治らない~
それは
彼の世界観なのです。
彼自身は
そうかもしれません。
不安を煽る
占いを
今の私は
一切信用しません。
そして、
私が
苦しみから
逃れたい
逃れたいと
一心に念っていた
その念いこそが
実は
1番
私を苦しめていたことに
私は
40才を過ぎてから
よくやく
解ったのです。
苦しみ
哀しみ
怒り
孤独...
あらゆる感情が
存在するのに
なぜ
ネガティブだけを
排除するのか
喜び
幸福感
慈悲
慈しみなどは
無条件に
受け容れるのに...。
それは、
自分の中にある
固定観念で
良い感情と
悪い感情を
ジャッジするから。
ジャッジすることなく
あるがままに
受け容れて、
その感情と
真正面から
向き合えば
ネガティブ感情は、
学びや成長の種として
忌み嫌うものでは無く、
感謝にさえ
変化していくのです。
どんな出来事も
体験したくて
生まれてきました。
だから、
愉しんで
味わい尽くしたら
生きることの
味わいが増してきます。
そして、
そこから
世界が
驚くほど
急展開していくのです。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE



