私が
教師をしながらも
毎日のように
白龍を感じ、
神様の存在を観じ
メッセージを
受け取ることは
現実的な生活の中に
神秘的なことが
混在する
頭が混乱しそうな
毎日でもありました。
現実...
つまり
目に見えるものや
数値などで
証明されるものでしか
信用しない学校現場は、
個人的に話をしていても
時々
胸に来る言葉を
耳にしていたのです。
「スピリチュアルってさ、
宗教みたい。
表現も
フワフワしていて
摑み所がないし、
感覚だけで
伝わってくるものが
薄いんだよね。
だから、
スピリチュアルは
嫌いなのよね。」
何をきっかけに
そう言われたのか
今では
忘れてしまいましたが
その言葉は
まるで私自身が
否定されたように
私は感じて
悲しくなりました...。
その頃の私は
既に
氣功が使え、
周りの波動が分かり、
過去生が見えたり
石や木や花なども
話ができていましたから
目に見えるものしか信じない
学校現場に身を置くことは
非常に
居心地の悪いものでした...。
でも、
不思議なんです。
そんなことを
私に言いながらも
「〇〇さん、
人の氣持ちを
大切にしないと
いけないよ」
そんな風に
子ども達に言う姿を
私は
見ました。
私は自分の耳を
疑いました。
人の氣持ちを大切に...って
その人の氣持ちこそ
目に
見えない
ものでは
ないですか?
私は
何故か
怒りが
込み上げてきました...。
その理由も
私には
よく分からなかったのですが...。
目に見えない
スピリチュアルは
信じないと言いながら
目に見えない氣持ちを
大切にするとは
どういうことなのか
私は
混乱したのかも
しれません。
私にとって
スピリチュアルとは
フワフワしたものでは
ありません。
むしろ、
今の人生を
地に足着けて
生きていくときに
“自分自身を
しっかりと
知った上で
それを全て受け容れ
自分自身を好きになり
あるがままの
自分を
素直に
正直に
生きていくことを
観じるための
魂の存在”
だと
捉えています。
スピリチュアルが
嫌いだという人は
まだ
受け容れる心の準備が
できていないだけかも
しれません。
確かに
目に見えないだけに
色々な人が
色々なことを言っていて
時に
言っていることが
真逆では無いのか



と感じるときもあります。
私は
私に依存させようなんて
全く
考えていません。
宗教は
その団体に
依存させ
寄進などをさせ、
人が
一般社会で
暮らしていけないように
心理的なカラクリを
用いて
宗教団体として
拡大していこうと
するところもあります。
だから、
スピリチュアル = 宗教
と
捉える人も
いるのかもしれませんが、
スピリチュアル ≠ 宗教
だと
私は
捉えています。
私がヒーラーとして
一番大切にしていることは
その方が
求める答えは
必ず
その方の
中にあるということです。
自分自身を
依り代として
地に足着けて
生きていくことが
できるよう
その感覚が
体感できる
ヒーリングセッションを
行っています。
その背景には
私が
教員時代に
2回のうつ病になったり、
子宮筋腫の摘出のオペ、
急性虫垂炎のオペ、
原因不明の目まいなどなど
数多くの
病気をし、
自分自身が
大嫌いで
生きづらさを
抱えながら
生きてきたからです。
スピリチュアルは
単純に
愉しいです。
誰かに依存すること無く
自分を信じて生きるとは
何て
自由で
心地良いのでしょうか。
そんな方が
どんどん増えていく世界になると
私は
信じています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE