2015年5月24日
あなたは
私の3番目の子どもとして
そして
初めての女の子として
産まれました。
あなたを
初めて
抱っこしたとき
私にあったのは
安心感でした。
あなたが
私のお腹に
宿ったとき
私は
まだ
教員をしていて
当時は
学年主任をしていました。
私にとって
初めての学年主任は、
その役割を、
年度末までは
しっかり
やり遂げたい思いで
溢れていました....。
あなたが
お腹にいたとき、
妊娠経過は
決して
順調と
言えるものでは
ありませんでした。
下腹痛が
常にありました。
8週目に心拍が
確認されても
度々
出血がありました。
8か月の頃...
そう
2015年3月3日の
桃の節句の時には
郵便局の車が
横からぶつかり
そのまま
切迫早産による
入院をしました。
私は
年度末まで
学年主任を
全うすることが
できませんでした...。
あの頃の私は
お腹にMが
居ると分かっていながらも
どこか
自分の身体よりも
仕事を
優先する気持ちが
あったのは
事実です...。
度重なる
産婦人科受診の時に
ドクターから
言われたのは
「教員の
切迫流産・切迫早産の割合は
非常に
高いんです。
そこまでして、
無理をしないと
いけないのですか?」
と言われたことが
今でも
忘れられません...。
そんな状況で
奇跡的に誕生したM。
産まれてからも
沢山の出来事がありました。
顔を見て
直ぐに分かりました。
顔の半分に
歪みがあったのです...。
ドクターが
気付いたのは
退院して
一ヶ月後の検診の時...。
左顔面麻痺
の疑いということで
大きな病院に
紹介状を持って行くように
言われました。
私は
自分を責めました。
妊娠中に
もっと
自分をいたわっていれば
娘に
身体の異常を
与えなくて
良かったかも
しれないのに...。
泣いて泣いて...
どれくらい泣いたのか...。
11カ月の時には
熊本地震がありました。
私は
育休中だったため、
その環境に
感謝しました。
非常事態に
一番大切な
我が子の傍に
居られることは
親として
どれだけ
嬉しいことでしょうか...。
私は
2016年7月25日に
学校現場に復帰しました。
まだ
授乳をしている
状況でした。
ずっと
私の傍に居た娘は
保育園では
一日中
泣き続けていたと
いいます。
それでも
夜中まで
毎日のように
3時間も4時間も
夜泣きをしました。
私は
部屋を別室にしましたが
その泣き声は
扉を突き抜けて
聞こえてきました。
私は
睡眠不足と
長距離の運転による神経を使い、
さらに
特別支援学校での
事故や怪我をさせないように
常に緊張を強いられる状況が
重なった結果、
原因不明の目まいとなり
2016年10月
3週間の休みを取りました。
復帰したものの
2017年1月17日
トイレにさえ行けない
酷い目まいと耳鳴り
思考力低下によって
年度末までお休みを
戴いたのです。
その結果、
私は
氣功というものを
伝授され、
今まであった
体調不良が
嘘のように
消えていきました。
また、
毎日
「ありがとう」を
念仏のように
言い続けたら
やがて
花や木や石などが
私に話しかけてくるようになり、
神様が見え、
自分の過去生も分かり、
さらには
白龍までも
私の傍に居てくれるように
なりました。
そんな光の世界を
毎日のように
感じていたら...
流れに流され
教師を
辞めていました...。
人生に
もしも...は
存在しませんが、
でも、
もしも
Mが産まれなかったら
私は
間違いなく
比較、競争、争いをベースにした
学校教育体制に
疑問を持つこともなく、
自分のものさしで
周りをジャッジし、
切り捨てる教師で
在り続けていたと
思います。
自分が
うつ病になったことを
忘れて...。
娘は
私に
大切なことは
何なのか
伝えるために
産まれてきてくれたように
観じています。
娘が居たから
私は
ヒーラーとなり、
人の笑顔を
創造する
新たな人生へ
導かれたのです。
私は
これからも
私の元に
やって来てくれた
子ども達と共に
今
ここを
大切にしながら
生きていこうと
想っています。
M
産まれてきてくれて
本当に
ありがとう。
あなたと
今世で
出逢えた御縁に
私は
心から
感謝します。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE