私は
40年間
お金の奴隷として
生きていました。
しかし、
お金の奴隷だった頃
“自分が奴隷だとは
思いもしませんでした”
“家来”と“奴隷”と
言葉がありますが、
私は
明らかに
“奴隷”だったのです。
国語辞典では
“奴隷”について
こう記載されていました。
奴隷
あることに心を奪われて
そのためだけに
行動する人間。
自衛官だった父の元で育ち、
その後も
教員になった私は
毎月
定額のお給料が
口座に入ってきました。
それについて
何の疑問も無く
当たり前のように
受け取っていました。
でも、
私は
仕事は
人間関係などをはじめとした
様々なストレスを
我慢した結果、
受け取るものだと
考えていました。
仕事=嫌なこと=給料
だったのです。
だから、
感謝よりは
当たり前でしたし、
むしろ
少ないとさえ
感じていました...。
そんな私が
生まれて初めて
毎月のお給料が無い
人生を歩み始めた
昨年の5月から
お金の奴隷であることを
体験させられたのです。
お金を支払うことが
怖くなりました。
定額で毎月のお給料は
もう入ってこないのです。
通帳の数字を見るのさえ
怖くなりました。
*子ども達は、どうやって育てていくのか
*光熱費の支払いは
*食料費は
*家のローンは
*毎月の保険料は
*税金の支払いは
何もしなくても
なぜに
こんなにも
お金は
離れていくのだ...
いつ底をつくのか...
底についたら死ぬのか...
私の頭は
グルグルと
回っていました...。
夫は
「もえ、
旅行にでも行ってきたら
」


と提案しましたが、
こんな提案をする夫に
非常に
腹が立ちました。
「あんたが
しっかりと
稼がないから
私がこうなるのよ。
男なら
しっかりしなさいよ!!
今まで
私が
教師として働いてきた
10年以上
あんたは
何をしていたのよ

」



私は
やがて
精神を病んでいきました。
起きては
寂しい
なぎの木整体を見ては泣き、
寝ては悪夢にうなされ
一時も
心安まるときは
ありませんでした。
時に
大声で叫び、
私は
余りの苦しさに
「死」を意識するように
なっていきました。
そして
8月25日の夕方...
私は
首をつりました...。
あの時
もやい結びをしていた
ロープが
なぜ
外れたのか...
それは
今でも
分かりません。
それでも、
私は
生き延びてしまいました...。
それからも
約2ヶ月半程は、
私は
寝たきり状態で
過ごしていました。
ある日
私が
ふと読んだ本から
口をついて出た言葉
「ありがとう」
この言葉が
私の身体の氣の流れを
一氣に変えていきました。
その感覚を
体感したときに
私は
感謝を
忘れていたことに
氣がついたのです...。
その時から
私は
お金の
奴隷から
解放
されました。
私は
お金から
自由に
なりました。
それから私は
自分のことが
本当に好きになりました。
私は
感謝しながら
毎日を過ごし、
やりたいことを
やり続けていました。
そのうちに
人が
喜ぶには
どんな事を
したら
良いのか
想像
するように
なりました。
というよりも
実は...
白龍が
私に
色々言って来ることを
私が
その通りに
やっているだけなのですが...。
そうすると
やがて
私の元には
人が集まるように
なってきました...。
なぎの木整体は
人の笑顔が
生まれる場所に
なったのです。
それは、
昨年の私が
想像をしていたことより
遥かに
素晴らしい世界でした...。
私は
お金の奴隷から解放されたことで、
お金を通して
どうやって
人を笑顔に
していこうか
考えます。
その1つが
“学びの場”
でもあるのです。
本来
お金とは
ツールなのです。
つまり
何かの目的を達成するために
その媒体として
存在しています。
お金は
もっと言うならば
「ありがとう」という
感謝のエネルギーが
形になったに過ぎません。
支払いの際に
値切るという行為は
あなたに
感謝
していませんよ...
となる
失礼な行為にも
なってしまうのです。
私は
そうとは知らずに、
どれだけ
値切る行為を
してきたことでしょうか...。
お金は
気持ち良く支払えば
お金は
再び
気持ち良く
入ってくるのです。
この世界の
お金からの奴隷としての
解放される日は
そう遠くない日に
多くの人に
訪れると
観じています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE