植松努さんを知ったのは

同期採用の

高校教師が

「もえさん

 こんな人いるよ~おねがい

そう紹介してくれたことが

きっかけでした。

当時の私は

まだ

特別支援学校に勤務する

教員をしていました。




そんな中で

目にした

YouTubeで

植松努さんの

講演会の話を聞きながら、

涙が出ました...。

YouTubeでさえも

涙が出るくらいですから、

会場に行ったら

号泣するかも

しれません...。



彼は、こう言っていました。

お婆ちゃんから

よしよしとされた彼の頭を

教師は

傷付く言葉を吐きながら

叩いたこと、

周りから

「無理だ」

「できない」

などの言葉を言われても

彼は

自分を

信じ続けたこと...。





当時の私は

一教師として

教師という立場が

どれだけ

子どもの心に

良くも悪くも

影響していくのか

強く

考えさせられました。



当時の私は

特別支援学校に勤務し、

毎日

子ども達に

向き合いました。

私は

保護者面談で

ある保護者に

こう言ったのです。

「Kくんは、

人が大好きです。

特に

学校参観に外部から

お客様が

いらっしゃると

自分から

ニコニコしながら

挨拶をしにいきます。

Kくんが、

好きなこと、

得意なことを生かして

将来は

例えば

ホテルのエントランスで

挨拶をして

お客様をお迎えするとか

そんな仕事ができたら

素敵ですねおねがい



私は

教師として

諦めたくは無かった。

例え

障がいが有ろうとも

その子の良さを

最大限生かして

楽しみながら

人生を

生きていくために

今の私に

何ができるのか...。

毎日が

真剣でした。

そんな私に

産休に入る前に

Kくんのお母さんから

手紙を

戴きました。




磯村先生

2年間お世話になりました。

いつも

先生のチャレンジ精神や

前向きな姿勢に

パワーを

貰っていました。

特に

四年生では

舞台発表、

二分の一成人式など

特別支援学校だし、

健常児と

同様の体験ができるとは

思っていなかったので、

本当に

感動しました。

また

周りと比べて

“どうせできないから”


諦めていた私達に

Kの笑顔や挨拶など

得意なことを

生かせる職業があるはずと

言って下さったことは

一生忘れません。

現実できるように

夢に近付けるように

努力していこうと

思います。



当時の熊本県での

知的障がい児の

教育内容は

全国的にも

20年は

遅れをとるものでした。

私は

それを

変えたかった。

だから、

周りが

何と言おうとも

自分のクラスだけは

どんな状況からでも

可能性は

見出せることを

子ども達にも

保護者にも

感じて貰いたかったのです。



私は

比較、競争、争いを

原点とする

教育体制に

限界を感じたこと、

組織の中で

生きづらさを

感じたこと、

何より

自分らしく生きていきたいと

強く感じた結果...

幼子3人抱えながらも

41才で

退職を決意しました。

今は

人を癒す

ヒーラーとして

ヒーリングセッションや

過去生療法を

行う中で

御縁ある方と結ばれれる

大切な時だと

私は

感じています。

そして、

仲間達と共に

近い将来

あらゆる枠に囚われない

学びの場を

立ち上げるために

私は

今日も

想いを

綴ります。

植松努さんの本...

息子達も

読み始めました。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE