山川絋矢さんの存在を知ったのは

ロンダ・バーンの本

「ザ・シークレット」の訳者だったことが

きっかけとなりました。



当時の私は

特別支援学校の教員をしていて、

「引き寄せの法則」に

はまっていました。

熊本県内で

最も大きな特別支援学校に

勤務していた私は

小学部に在籍し

学年主任をしていました。

その頃の私は

デキる教師

デキない教師を

ジャッジし、

児童に対して

支援がうまくないと

見えてしまう

教師に対して

「もっと子どものことを

 ちゃんと見て下さい。」


「もっと勉強して下さい」


相手が年上であろうと

バッサリ

言い捨てるような

人間でした。




目に見える行動や

表現されるものでしか

評価できず、

表現された

奥底にある

深い想いにまで

想いを寄せることが

できない

人間でした。




白か黒か。




勝か負けるか。




やるかやらないか。




周りの全ては

ライバルでした。




如何に

教師として

高い評価を

獲得するのか...

私は

肩書きを

求めていました。

いつも

今に

不満を

持っていました。

「私はもっとできる」

そんな

想いが

私を

常に追い立て

私は

幸せでは

ありません

でした...。



そんな私が

変わったのは

3人目を身ごもり

産休・育休中あけて

学校現場に復帰してからでした。

夜中の授乳、

片道1時間の車での通勤、

職場では

怪我や事故が起こらないために

神経を張り巡らせた日々を過ごした結果、

約2か月後から

原因不明のめまいで

倒れました...。


2016年10月の頃の話です。


それから、

私の周りで

起こる出来事は

どんどん変わっていきました。


めまいは

漢方で

何とか誤魔化し、

私は

3週間ほどして

学校現場に復帰しました。



しかし、

変なのです...。

仕事を終えて

帰りの車の中で

私では無い

もう1人の私の声が

頭の中で

言って来るのです。

毎日毎日毎日...。

「私に氣付いて...」

「私を出して...」

こんな類いの言葉が

帰りの車の中で

ずっと

頭の中に

響いていました。

当時の私は

何のことやら

さっぱり

訳がわかりません。

やがて

新しい年

2017年を迎えました。

体調不良は

相変わらず続いていました。

そして

2017年1月17日

私は

トイレにさえ行けない

酷いめまいで

運転ができず

そのまま

年度末まで

休みを戴いたのです。

先の見えない不安が

いつもありました。

いつ復帰できるだろう、

原因は何なんだ、

周りの人は何て言うだろう、

何で私はできないのか、

怒り、怖れ、不安、迷い...

あらゆる感情が

私を

襲いました。



でも、

もしも、

この体験が無かったら

きっと

私は

今でも

自分のものさしで

人をジャッジする

人間だったと

思います。




この体験を

きっかけとして、

私は

氣功が使えるようになり、

やがては

花や木や石と話をし、

白龍が

常に私の傍にいてくれて、

時として

千手観音様や

弥勒菩薩様が

姿を見せてくれる世界へと

導かれました。

私は

2018年4月末で

教員を退職し、

人を癒す

ヒーラーとなったのです。

最初から

ヒーラーとして

うまくいったわけでは

ありません。

しかし、

今は

山川絋矢さんの

言われるような

毎日を

過ごしています。



*神様に新しい一日を


与えてくれたことに


心から感謝する。




 

*神様が今日、


自分に与えてくださった


恵みのすべてを


深い感謝と共に受け取りましょう。



 

*微笑みながら、家を出ると、


鳥たちがさえずっています。


薔薇の花が一杯咲いています。

 

今、生きていられることは


なんと幸せなんだろう!

 

自分自身の内側


満足と安らぎを見つけましょう。





 

外側に名声を求めたり、


幸せを求めて、


そこら中を探し回ったとしても


幸せを外側に求めているかぎり、


ダメなんです。


他人と競争していますか? 


他人と較べていませんか?

 

 

今、


自分に


与えられたものを


感謝と共に


心から喜び


楽しむことにしましょう。






全ての

根源は

私は

感謝だと

観じています。






あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE