私は

幼いとき

大人は

何でも知っているし

凄い人なんだと

思い込んでいました。
 
だから、

幼稚園くらいのときまで

早く大人になりたいな~と

何となく

思っていました。

しかし、

それは

小学生になると

徐々に変わり始め

小学高学年になる頃には

大人にはなりたくないと

思うようになっていました...。

私は

大人は

惜しむことのない

愛を子どもに

無条件に

注いでいる...

そう思っていた

幼いときから、

いや...

どうもそうではないらしい


感じ始めたのが

きっかけでした。



父親や母親から

「食べさせてやってるんだ」

「学校へ行かせてやってるんだ」

「育ててやってるんだ」

「やりたいことやらせてあげてるんだ」

そう言われる度に

心が窮屈になり、

私は

居ない方が

いいんじゃないか、とさえ

感じた時もありました。

さらに

成人すると

「育ててやったんだから

 私達親が年を取ったら

 お願いね」


どこか吐き捨てるような感じで

言われたとき...

なんともいえない気持ちになりました。



そして、

私が

今度は

母親になりました。

産まれたての我が子を

この腕に抱いたとき、




我が子が

お乳を飲むとき、




我が子の眠る姿を見るとき、




初めて寝返りをしたとき、



歩いたとき、




笑顔を見せてくれたとき、



私は

もう既に

何にも代え難い豊かさを

我が子から

貰っていることに

気がついたのです。

真っ直ぐにこちらを見て

「ママ抱っこ」

と言ってくれる

子ども達から

無条件の

無限の愛を

私の方が

貰っていたのです。

だからこそ、

私は

思うのです。

これだけの

豊かな気持ちを

既に

子ども達から

受け取ったのだから、

大人になったら

親の事は

氣にせず

前を

進みなさい

と...

手放す

ことの

大切さを。

それこそが、

私にとって

何よりの

祈りです。

もし、

親が

「育ててやったのに

 感謝もしないでムキー

と言うのならば、

その気持ちを持つ

親にこそ

子どもに対する

感謝が無いのです。

もしかしたら、

義務感だけで

育てたのかも

しれません。

それならば、

子育ては

大変だったし

苦労したし

苦しかったから

だから、

我が子に

見返りを

求めてきます。

何故なら、

苦しかったから

大変だったから

という

欠乏感が

心の奥底には

存在するからです。

この

欠乏感は

非常に

やっかいです。

欠乏感は、  

外からでは

充たされることが無いのです。

そのため、

いくら

子どもが

親のために

例えば

お中元を贈ったり、

旅行に連れて行ったり、

食事に連れて行ったとしても、

して貰ったことは

直ぐに忘れて

さらなる

要求を出してきます。



結局は、
 
自分の内側から

自分の心を充たすことこそが、

「やってあげたのに」

という気持ちを

解放することに

繫がっていきます。

子どもは

親の

所有物ではないのです。

不思議なもので

我が子に

自由に好きなようにと

見守れば、

何故か

逆に

子どもの方から

親孝行させて下さいという

流れがやって来たりもします。

大切なことは

まずは、

自分で自分を

幸せにしていくという

ことのようです...。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨

熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE