私は
生まれ落ちてから直ぐに
両親から
こう言われたそうです...。
「男の子だったら
良かったのに...」
この言葉は
事ある毎に
父から
または
母から
よく言われました...。
そんな
私に
弟が生まれた途端に
両親の愛情も関心も
一気に
弟へ注がれていったことも
2歳半の私には
よく判っていました。
まだ
言葉数少なな幼子でしたが
弟への
嫉妬心もあり、
私は
産婦人科から
やってきた弟へ
いたずらをしました。
布団に寝ている弟の鼻に
洗濯バサミを付けたのです。
小さな動く物体が
泣き始めたら
私は
不思議で仕方ありませんでした。
泣き叫ぶ弟の声に
母が形相を変えてやって来て
私は
かなり酷く叩かれました...。
その後の母の様子を
祖母が見かねて
母にこう言ったそうです。
「そんなに叩きよったら
精神がおかしか子になったい
」

小学生になる頃には
母から
よく手伝いをするように
言われていました。
主に
掃除と洗濯物たたみです。
しかし
私は
遊びたい盛りで
お手伝いを
途中で
放り投げて
外へ遊びに行くこともが
度々ありました。
そして、
母は
こう言うのです...。
「あんたは、
いつも
中途半端ね
」








やがて
私は
高校、大学と
進んでいきますが、
*男の子だったら、良かったのに
*あんたは、いつも中途半端ね
これらの言葉が
いつも
私の足を
無意識に
引っ張りました...。
親が言った
何気ない言葉は
私を
苦しめました。
私は
私が
女性であることを
強く
否定していました。
強く否定する気持ちは
毎月やってくる
生理痛へと
繫がっていきました。
生理痛は、
激しい痛みで私を襲い
余りの痛みに気を失い
救急車で
病院に搬送されたことも
ありました。
生理が来る度に
女性であることを
怨む私が居ました。
成人してからは
子宮筋腫ができて、
摘出手術を
したこともありました...。
一方で
「中途半端」と言われてきた私は
何かやり始める時、
勢いがあるのですが、
途中で放り投げることが
頻繁にありました。
高校時代の
テニス部も
気付けば
行かなくなっていましたし、
大学時代の
空手部も
授業を理由に
途中から
行かなくなっていきました...。
そして、
最期までやり通せない自分を
私は
責め続けました...。
中1の頃
バスケット部で
いじめに遭ったことから
バスケット部を
途中で辞めましたが、
その時も
私は
母から
やっぱり
言われたのです...。
「あんたは、いつも中途半端ね。」
母は、
知らなかったのに...
私の辞めるに至った背景を...。
母親の言葉は、
怖いくらい
子どもの
人生に
影響を
与えます。
そして、
自分が子どもの頃、
親からされたことは
残念ながら
我が子にしてしまう
鎖として繫がっていくのです...。
自分が言われて
あれだけ嫌だったのに
気が付くと
自分が我が子に対して
同じように
傷つける言葉を
放ってしまっている...。
しかも、
我が子が泣けば泣くほど
無意識に
昔の自分が刺激されて
さらに
強く
言葉を投げつけたり、
時には
手が出たりしてしまう...。
しかし
その後にやってくるのは
怖ろしいくらいの
罪悪感...。
この鎖の存在に気付いたなら
今
ここで
断ち切る必要があります。
そうでないと
我が子までも
自分と同じように
苦しみながら
人生を歩んでいく
可能性が
出てくるからです。
まずは、
許しましょう。
自分を...。
私は
よくやっていたよ、と。
そして、
親を許しましょう。
親も
若くて
未熟だったのです。
そして、
全てを受け容れた上で
ここから
自分の人生を
歩んでいくのです。
呪いの言葉は、
学び気付き
人生の深まりを
与えてくれる
言葉でした。
だからこそ、
自分から
解き放たれる言葉は
学びから
選りすぐられた
愛の言葉を持って
我が子に伝えていきたいと
強く
思っています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE