1年前








10年以上
教師をしてきた私が
教師をを辞めたとき...
その後も付き合いのある人は
ほぼ0でした。
私は
現役教師の頃は
こう
考えていました。
定年退職したら、
人を癒して
旅行に行って
楽しいことをして...
描くものは
輝いていました。
そう...
頑張った先に
ゆとりある
高齢者としての
生活があるはずだ...
と
幻想を持っていたのです。
しかし...
実際に私が
教師を辞めたとき
私は
楽しく語り合う仲間が
全く居なかったのです...。
もしも、
私が
あのまま
教師をしていたら
孤独な時間を
過ごしていたかもしれません。
しかも、
我が子の話も
まともに聞いていなかった私の元に
大人になった
我が子が
この家に
近づくはずもありません。
早く気付けて良かった...
間に合った...
そう感じました。








教師を辞めて
今
ヒーラーとなって
1番幸せに感じたこと...
それは
私が
私らしく
生きていけること、です。
そしたら...
熊本県を超えて
様々な県から
人が
集まってきました。
そんな人との出逢いが
私に
感動を
与えてくれるのです。
私にとって
豊かさとは
まさに
人との出逢いそのもの
でした。
子どもとの関係性は
大きく変わりました。
私が変わると
子ども達への
アプローチが変わってくるので
子ども達は
自由に
自分を
表現し始めました。
その表現は、
私の想像を
遙かに超えて
聞いている私まで
ワクワクするような
可能性に溢れた
未来ビジョン
だったりします。
こんな
子ども達が
大人になったら、
この世界は
本当に
素晴らしい世界に
変わっていくなと
未来に
希望が
持てるのです。
私が
教師としてやってきたこと...
それは
今のあなたは
不完全だから、
服の着脱ができ
食事はマナーを守り、
あらゆる
身の回りのことは
自分でできて、
大人の言うことを聞き、
作業所などで働いて
社会と関わりながら
生きていくのよ、でした。
そして
母としてやってきたこと...
それは、
今のあなたは
不完全だから
もっと
努力して
勉強して
偏差値の高い大学から
給料の多い所に
就職するのよ、でした。
これって...
根本的に
違和感があります。
障がいがあろうと無かろうと
子ども達には
自分自身を何よりも好きになり、
自分がやりたいことを通して
社会と関わる中で
お互いの存在を
認め合い
そして
そこから
学んだり
感動したりすることで
生きること
そのものを
楽しむこと...
それが
人生のように
感じるのです。
正解
不正解は
ありません。
それぞれの人生は
それぞれの想いで
創造されているのですから。
ただ、
私が
ヒーラーとなって
1番幸せに感じたことは
人との出逢いと
出逢いから
生みだされる
感動でした

あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE