私の

大学時代。

ちょうど

就職氷河期と

言われた時期と

重なりました。

求人倍率は

0.7とか...

記憶にはありませんが、

私も

ギリギリまで

決まらなかった1人でした。

私は

自分が

自分の1人の力で

何か出来るとは

思いもしなかったので、

迷うこと無く

試験を受け続けました。

*国家公務員試験

*熊本県警

*長崎県教員採用試験

*高齢者施設...


福祉科専攻していたため、

高齢者施設を

受けましたが、

私には

夜勤が出来る自信は

全くありませんでした...。

でも、

他の公務員試験は

全て

不合格。




高齢者施設のみ

新規開設のため

大量採用だったので

3次試験まで受けて

ようやく

合格したのでした...。



その頃の私は

組織にいかに

貢献できるかよりも

自分の安定が

いかに守られるのかを

大事にしていました。



安定のためには

自分の好きなこと、

自分のやりたいことなど

考えもしませんでした。

就職できたらいい...。

ただ

それだけ、でした。


私が

高齢者施設の

合格通知を受け取ったのは

卒業1ヶ月半前の

ギリギリでした...。



ところが、

たまたま...

そう、たまたま

教育実習をした

山口県の

養護学校の校長から

3月下旬に電話があり、

臨時的任用教師として

勤務しないか、と

誘いを受けたのです。

私は、

臨時であっても

幼少期からなりたかった

教師への道を

選びました...。



臨時的任用教師になった私は

さらに

安定を求めました。

それが、

教員採用試験合格でした。


教師になってからも

私は

組織に依存していました。

組織から離れて生きていくなんて

できませんでした...。

怖かったから...。




では、

本採用教師になってからは...?

確かに

安定していました。



安定すれば、

幸せだと

思っていました。

でも...

何度も病気をしました...。

それから

少しずつ

模索していきました...。

学びに行ったり

体験したり、

自分は何が好きなのか、

自分は何が得意なのか、

自分は何をしているときが幸せなのか、



時間経過と共に

点だった出来事が

やがて

線に繋がり

さらには

面となり、

立体となっていきました。




教員最後の1年で

分かったことが

ありました。

自分が組織に

依存するのでは無くて、



組織に属すことで、

個人として

如何に

目の前の児童に

愛を注げるのか...

それが

1番大事だったことを。

私は

確かに

児童には

惜しみなく

愛を注ぎ続けました。

しかしながら、

何処かで

「教師を辞めたら

 生きては行けない自分」


感じていました。


組織だからこそ

できることもある...。

そして、

私にはできなかったけど

定年まで仕事を全うするのも

相当な覚悟も勇気もいることです。

一方で

本採用教師という

組織を離れていくのも

勇気も覚悟も要りました。



教師を辞めた世界は

自由

でした。

私は、

ようやく

1人の人間として

自分の足で

歩み始めたように

感じています。







あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE