私が

小学生だった頃

それは

確か

小2か小3くらいでした...。

宿題が

出されました。

作文です。

題名は





「お父さんの仕事」





私の父は

自衛官でした。

自衛隊は

名前だけは

私は

知ってはいました。

しかし、

私は

自衛隊が

どんな仕事をするのか

全く

知らなかったのです。

父も

仕事について

守秘義務のあるため

自宅で話すことは

ほとんど

ありませんでした。

また、

今のように

テレビで

災害が起こった場所に

自衛隊が派遣されて...

という様子が

テレビに映ることも

私は

見ていなかったので

父の仕事を

本当に

知らなかったのです...。

母は

父に

「ほら宿題だから話してあげてよ」


言ってくれたのですが...

私は

結局

父から話は聞けずに

1文だけ書いて

宿題を提出しました...。

「わたしの おとうさんは

 じえいたいです。」




すると

担任は

こう言いました。

宿題で

皆は

たくさん

書いてきたのに

あなただけ

こんなに

少ないわよ。」

それを

クラスの中で

言われて

私は

泣きたくなりました。

   キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


時が流れて

私は

母親になりました。

長男の

家庭訪問が

ありました。

家庭訪問の前に

プリントが

配られていました。

「当たり前のことが

当たり前に

できるようになる」

そう書いてあったのです...。



私は

このプリントを読んで

最初から

違和感がありました。



当たり前って

何よ!?

当たり前って

思っていることが

できない悲しみ

私には

痛いくらいに

分かるのです。

みんなは

当たり前に

仕事していた...。

でも、

私は

何故か

学校組織に合わなくて

何度も

病気をしてきた。

頑張っても

頑張っても

孤独で辛くて

でも、

そんなことは

誰にも

言えなくて...。

ましてや

障がい児の

通う特別支援学校の教員です。

健常児が

「当たり前」にできることが

障がいのある子ども達にとって

如何に

ハードルが高いのか...

それは

10年以上関わってきて

肌で感じていました。

当たり前なんて

何一つない。

全てが

感謝すべき

モノゴトなんだ、と。

挨拶ができたら

嬉しくなるから感謝する。

忘れ物をしたら

常日頃使う物に

感謝できる機会にする。

時間を守ったら

スムーズに

始められるから

感謝する。

当たり前なんて

何処にもありませんでした。

その後の

家庭訪問です...。

なる程...。

私は

違和感の

原因が

分かりました。

のっぺらぼう

でした。

教師としての

仮面を付けていて、

どんな事を

1人の人として

大切にしているのか、とか

1人の人として

苦手なこと、とか

人間としての姿が

全く見えなかったのです...。

そして、

私は

長男の担任の姿に

かつての私の姿を

無意識に重ねてしまったために

言い様のない

怒りを

感じたのでした...。

理論武装して

近寄りがたい感じ...。



ただ...

このことは、

私が

学び場で

どんな大人でありたいか

それを

明らかにする

出来事でもありました。

不器用でも

素直に

正直に

ありのまま

子ども達や

全ての人と

向き合っていくことを

何よりも

大切にしていきたいと

思っています。




あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE