私が
長男を
初めて
身ごもったとき
妊娠中に行われる
障がい児かどうかを判断する
検査をするか
訊ねられたことが
ありました。
羊水を抜き取り、
そこから
DNA鑑定を
するというものです。
遺伝子疾患が
早期に分かるため
気になる方は
受けられると言います...。
私は
大学時代から
障がい児教育を
学んできていたことと
養護学校(現:特別支援学校)で
勤務していたこともあり、
絶対に
検査は
受けないと
決めていました。
なぜなら、
私を母として
選んで
生まれてきてくれる
子どもだから...。
どんな子どもであっても
受け止める...
そう思っていました。
それは、
直感に
近いものがありました。
親になるって
どういうことなのだろう...
私は
私に
問いかけました...。
未熟な私は
お乳をよく吐く
長男のことを
周りから言われたら
自分を責めていました。
歩き始めるのが遅い
長男を
周りと比べ
焦りました...。
次男坊に至っては、
5ケ月から
頭位が
一気に大きくなり、
水頭症の疑いで
1年間
日赤に通いました。
小さな細い血管に
麻酔を点滴し
MRIで
脳の検査をしたことが
ありました。
まだ
一歳に満たない
次男坊が
検査室に入るときには
ドクターと
看護師、
検査技師など
五人くらいで
ストレッチャーを
運ぶ様子を見ると
それは...
親として
不安以外の
何物でもありませんでした...。
3番目の娘は
産まれた瞬間から
左側の顔に
麻痺があるのが
私は
ドクターが
気付く前から
分かっていました。
女の子の顔です。
私は
妊娠中
教師として
確かに
無理をしていました。
私は、
私を
責め続けました...。
私は
子どもに
完璧を
求めている自分に
気付きました。
お乳を吐くなら
吐かない子を。
歩き始めるのが遅ければ
標準に歩ける子を。
急に頭が大きくなったら
標準な頭位を。
顔面に麻痺があるなら
麻痺の無い顔を...。
私は
幻の完璧を求め、
あるがままの
我が子を
受け止めきれて
いませんでした。
なんて
エゴイストな
母親でしょうか...。
その理由も
分かりました。
私が
私のあるがままを
受け容れきれていないから
だったのです...。
でも、
子ども達は
違いました。
どんな私でも
無条件に
私を愛してくれていました...。
長男は
まだ2歳になったばかりの頃には、
摘んだ花を
私に持って帰ってきました。
しかし、
その花は
ポケットに入れていたために
萎れていました。
綺麗な花で
私を
喜ばせたかった
長男は
泣きじゃくり
夫と
歩いて
別の花を
求めて
私に
くれたのです...。
「はい。ママどうぞ」
でも...
その頃の私は
仕事で頭がいっぱいで
長男の心に寄り添うことが
できませんでした...。
あるがままの
いのちを
あるがままに
受け容れてくれてるのは
本当は
子ども達でした...。
それに
気付いたのは
昨年の夏だったのです...。
でも、
気付けて
良かった...
そう思います。
そして、
それは
人に限らず
物に対しても
そうでした...。
私は
小さくなった靴や
手放す物には
必ず
「ありがとう」
を
伝えます。
少し欠けたくらいなら
使い続ける方です。
物にも
気持ちがあると分かるからこそ、
私は
物に訊ねてから
取り扱いを
決めたりします。
「あなたは、どうしたいの?」と...。
見える部分は
ごく一部なのです。
見えない部分が
この世界の
創造の源です。
だからこそ、
全ての
いのちを
大切にしたいと
思っています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE