山口県下関市に
住んでいた頃...
それは、
私が







23才の時...
海辺で
夕日を見ながら
絵を描いていたら
あるおばちゃんから
声をかけられました...。
「あら?
あなた
絵を描くの?
うちの主人も
絵を描くのよ。
良かったら
うちに来ない
」


当時
私は
一人暮らしでした。
日曜日の夕方...
明日は
仕事を控え
なんとなく
家にいたくなくて
ふら~っと
出掛けた先での
出逢いだったのです...。
それは
堀 晃(ほり ひかる)さん
私は
当時
彼が
どれくらい
凄い人か
全く
知りませんでした...。
(ただ、
知らないからこそ、
いつも
深い仲になれます。)
堀晃さんは、
40代で
公立学校の教師を辞めました。
そして、
元々
やりたかった
絵だけで
生きていくことにしたのです。
当時のお子さんは
中学生と小学生だったと言います。
奥様は
草を見つけては
「どれが天ぷらになるか...」
そんな風に
毎日を支えたと言います...。
透き通るような
海の絵が
大好きでした。
堀晃さんは、
その時
奄美大島の加計呂麻島から
帰ってきたばかりでした。
私も
幼少期に
沖縄に住んでいたため、
ガジュマルの話で
意気投合したのです。
ところが、
曜日が日曜日。
私は
翌日の勤務が気になり、
ご自宅を後にしました...。
それから、
数日後...
奥様から
お電話が有り、
「泊まりながら飲みませんか」
と
お誘いを受けました。
堀晃さんの
ご自宅に伺うと
そこには
プロ写真家、
プロ家具職人
そして
堀晃さん...
個性的な人が集まっていました...。
今、思うと
枠に囚われず
自分の気持ちに
正直に
素直に
表現しながら
生きていっている...
先を行っている人が
そこに
いたのです。
堀晃さんは、
まさに
そうでした。
家族を支える立場なら、
安定した収入のある
教師を辞めるのは
相当な
覚悟が
あったはずです。
でも、
彼は
自分の道を
進み続けた...。
そして、
奥様は
そんな
彼を支え続けた...。
堀晃さんの目は
キラキラしていました。







今では
会うことも無くなりましたが、
堀晃さんと
出逢えたことは
まさに
神様からの贈り物だと
私は
感じています...。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE