私には

意地がありました。

「絶対に

あなたが思う通りに

私は

行動しないから。」

それは、

私の母に対する

強い感情でした。



小さな頃は、

母から

愛されたいが故に

言われるがまま

何も考えずに

行動していました。

母から

叱られたら

私が悪い子だから

叱られるんだ...

そう解釈しました...。



でも、

小学校高学年にもなってくると

母の言うことに

矛盾を

感じました。

私に言うことと

弟に言うことに

違いがあったのです...。

  キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

私には

いわゆる

反抗期が

ありませんでした。

それだけ

親から

抑圧されて

育てられていました...。

結果...

私は

私のことを

認めることができず、

がむしゃらに

努力し、

頑張り、

時には

我慢し続けて

大人になりました。

親の価値観は

そのまま

私の

固定観念となりました。

社会人となって

独り暮らししていても、

私では無い

もう1人の私が

私を

管理しました...。




「そんなことしたら

人に笑われる」



「そんなことしたら

失敗する」



「そんなことしたら

あなたから

人は離れてしまう」





親からは

とっくに自立しているのに、

私の固定観念が

私を苦しめていることに

私は

気付く事は無く、

苦しさの原因を

常に外側に求めていました...。

他の教員が悪いとか、

組織体制が悪いとか、

子どもの背景が悪いとか...。

   キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


固定観念って、

なかなか気付けません。

そもそも

気付いたら

固定観念は外れていきます。

固定観念が

自分の中にあると

気付かせてくれるのは

不快感です。

例えば

幼少期から

親に

「挨拶をしなさい」

と言われ続けて育った人は

挨拶をしない人を見たら

強い怒りと嫌悪感を

感じるかもしれません。



「なぜ挨拶もできないのムキー?

「人として最低ガーン!




挨拶をするかしないかで

その人をジャッジします。

もしかしたら、

その人は

何か辛いことが有り、

上の空で

挨拶の言葉が

耳に入っていなかったのかもしれません。

でも

「挨拶をしなさい」


固定観念があると

挨拶をしたか OR 挨拶をしないか

だけで

その人そのものを

ジャッジしがちになります。


それは、

何より

自分自身を

苦しめます...。



だから、

誰かの行為に触れて

不快感を

感じたときは

自分の中にある

固定観念を

外すチャンス♡

だと

私は

最近

感じるように

なってきました...。




私には

意地がありました。

「あなたが思う通りに行動しないから」



これは、

もしかしたら...

私の息子が

今の私に

思っていることかもしれません。





でも、

思うのです...。



自分は

自分らしく

生きたいと思いながら、

何故

人を

自分の思い通りに

しようとするのか...。




そこに

大きな矛盾が有り、




そこに

苦しみが存在しています。


特に

母親が

我が子に対して

成績や

性格や

人間関係形成について

必要以上に

求めてしまうのは

母親の根底には

自分自身に対する


欠乏感が

あります。


自分が充たされないから、

我が子に求め

自分の満たされ無さを

解消しようと

するのです...。



結果、

どうなるのか...。

母親に

自分の気持ちを伝えられるだけの

心の強さを持った子どもなら

問題は

そう大きくはありません。

しかし、

母親に自分の気持ちを言えず、

気持ちを内側に抑圧し、

さらに

できない自分を

「悪い子だ」


自分を責めてしまうような

子どもは...

精神疾患になる

可能性は高まります...。

もしくは

自分の部屋に

ひきこもります。



だからこそ

何よりも

まずは

自分自身から

幸せになること。

大人から

幸せになること。

そうすれば、

言葉で

延々と

子どもに対して

語らなくても、

子どもは

大人の背中を見て

勝手に

学んでいきます。

子どもは

親の言うことよりも

親のすることを見て

育っていくのです...。




あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE