自分が苦しかったとき...
いじめに遭ったり、
親から叩かれたり、
うつ病になったり、
原因不明の目まいに襲われたり、
知らない男性に
襲われそうになったり、
そんな...
人生で起こる
不幸だと思う出来事の最中、
私が
思っていたのは
神様なんか
いるものか!!!
でした...。
なぜ、
こんなに
苦しいのに
助けてくれないの?
なぜ
こんな想いを
しなきゃならないの?
ねぇ、
何故だか
教えてよ!!!
そんな時、
私は
神様を
感じることは
できませんでした...。
特別な人なら
苦しまない?
釈迦とか
キリストとか...。
当時の私は
頭が混乱していたのかも
しれません。
釈迦は
想像を遙かに超える
難行・苦行をした末に、
難行苦行では
悟りをえられないことを
会得しました。
キリストは
自らが殺されると知りながら、
その状況を
受け容れました...。
悟りを得たと
言われる名を残した人でも
その人生は
壮絶でした...。
大いなる存在は、
ただ苦しみだけを
与えるのでしょうか?
いえ...
そうではありませんでした。
なぜなら、
苦しみの最中に
いるときこそ、
自分では
気付かないだけで
大きな優しさや
学びや
幸せの種が
蒔かれているのです。
苦しみと
同等
もしくは
それ以上の
幸せや感動が
ありました...。
私が
うつ病になる前、
学校現場で
うつ病になった教員を見たとき、
私には関係ない病気だ。
精神の弱い人がなるのだ。
そんな考えを持っていました...。
でも、
自分が1度
うつ病となると、
うつ病とは
誰しもがなる
可能性がある...
と
分かりました。
うつ病になった人や
なる寸前の人に
どのように
接したら良いのか
身を以て
知りました。
原因不明の
目まいに襲われたとき、
先の見えない不安を
感じたことは
病気をきっかけに
自分の内にあった
物事の捉え方の癖や
自分自身に対する
厳しい見方を
教えてくれていました。
自分にとって
不幸と感じることは
体験しないで良いなら
しないに超したことは
ありません。
でも、
この世に生まれ落ちたとき、
一見
不幸と見えることを
自分で
設定して
生まれてきています。
何故なら
それを
乗り越えることで
魂は
さらに
光り輝くからです。
この世でしか
私達は、
学べないのです。
死んだあの世では
学べません...。
特別な人なら
厭なことは
起こらないと
思っていました...。
でも、
特別な人だからこそ、
その人生に
様々なことが
起こるのかも
しれません。
それぞれの
人生が
1つとして
同じものは
ありません。
私達は、
そういう意味では
全ての人が
特別な人なのです...。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE