もしも、

私が

今も

本採用教員のままだったら

経済的な安定は

あったかもしれませんが、

学校組織にある

赤裸々な表現は

出来なかったと

思います。

また、

実名を出すことも

なかったでしょう。

実名でなければ、

表現内容の

信憑性は

低くなるかもしれません。



これは、

特別支援学校にあった

私の体験談です。

特別支援学校は

小学部、

中学部、

高等部が

同じ敷地にあるため、

在籍児童生徒の人数が

かなりの規模になります。

そのため、

保健室は

2人体制が

ほとんどです。

私が

その養護教諭に会ったとき

はじめから

?


思いました。

児童が

転んですり傷が

できてしまったので、

保健室に

連れて行きました。

すると

「これくらいで

保健室に

連れてこないで

下さい!!ムキー

と言うのです。

驚きました。

こんな養護教諭は

初めてでした...。

すり傷だろうと

どれだけ軽い

打撲だったとしても

児童は

保健室に行っただけで

安心することがあります。

それは、

養護教諭による

手当てだからこそ、

安心するのです。



しかし、

その養護教諭にとって

気になっていたのは

医療的ケアが必要な

重度の障がいがある

児童生徒だったのです。

元看護師で

NICUで勤めていた彼女。

看護師から

教員採用試験を受けて、

養護教諭へ

転身しました。

彼女の言い方は

非常にキツく、

安心の場所のはずが

行きたくても

行けない場所と

なりました。

そんな彼女と

同じ保健室で

勤務していた

もう1人の養護教諭は、

経験年数がありながら、

半年で

精神疾患となり

休職となりました。

さらに、

代替として入った

養護助教諭は

50代半ばでした。

強烈な彼女と

密室の保健室で

働くのは

並々ならないタフさが

必要なのは

容易に想像できました。

私は

50代半ばの

臨時の養護助教諭に

「大丈夫ですか?


訊ねました。

すると

「磯村先生が

訊ねられることは

本来は

管理職が

言うことかもしれませんが、

管理職は

そんなことは

一切言ってくれません。

磯村先生が

初めてでした。

そう言ってくれたのは...」

その後、

その50代半ばの

臨時の養護助教諭は

わずか

3ヶ月で退職しました。

その方は

辞められる直前には

パソコンの文字が

見えなかったと言います。

また、

強烈な彼女の言葉が

全く聞こえなくなったとも

言っていました。

管理職は

なぜ

こんな彼女に

何も

言わなかった

でしょうか...?



あまりの酷さに

私は

この

養護教諭に

直接話しました。

「養護教諭が2人も

休職と退職するような

状況にしてしまった

その原因となった

自分自身を

振り返ることはしないのですか?

保健室は

本来は

子ども達が

安心して来られる場所。

にも関わらず

あなたの対応で

教師自体が

保健室に来ることに

抵抗がある...。

それくらいに

あなたの言動には

威圧感が

あります。」と...。

すると

その養護教諭からは

「休んだり

辞めたり出来る人の方が

どれだけ楽かムキー!!!

私だって

苦しいんです!!!!



多分...

正面から

彼女に

養護教諭の在り方を

伝えた人は

居なかったのでしょう...。

ある意味、

可哀想な人だったのかも

しれません...。

この養護教諭は、

まだ

熊本県内に

勤務しています。


   キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

学校内部から

変えたい部分は

沢山ありました...。

子ども達の笑顔を

毎日

見たかったから...。

教師達が

心の底から

教師という仕事に

楽しさと

やり甲斐を持って

子ども達と

笑顔で

向き合って

欲しかったから。

でも、

1人の力では

限界が

あったのかも

しれません...。



今は

教師を辞め、

人を癒すヒーラーとして、

教職である人だけで無く、

子どもに関わる

多くの大人の

ヒーリングセッションを

するようになりました。

子どもを

笑顔にしたいから

まずは、

大人から

笑顔を

創造する...。

そして、

目覚めた人を

増やしていくことが

私の役割だと

最近は

感じるように

なってきました...。




あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE