新渡戸稲造の

武士道を

読み始めました。

知りませんでした。

武士道は

最初から

英語で書かれていたことを...。

新渡戸稲造が

海外にいたときに

ベルギーの法学者

エミール・ド・ラブレーから

「日本人は宗教教育が無くて

どのように

道徳心を育てるのか?」

と驚きながら

問われたことが

きっかけとなったそうです。

しかも

当時の新渡戸稲造は

病気により

療養中で

時間が

充分にありました。

ここから

世界的に有名な

「BUSHIDO(武士道)」が

誕生したのです...。

全ては必然と言いますが

もしも

新渡戸稲造が

エミール・ド・ラブレーと

出逢わなければ

武士道は

誕生しませんでした。

また

病気による療養の時間が無ければ

作品を作ることにも

繋がらなかった...。



私は

岩手県出張に

神様からの導きを


強く感じているのです。

時代を超えた

師に

出逢えた...

私は

新渡戸稲造記念館で

泣いたのです。

自分と志が

あまりにも

似ていたから...。

軍事国家へと進んでいく

当時の日本にありながら

真なる平和を実現するために

彼は

こう言いました。

「我、

願わくば

太平洋の架け橋とならん」

軍事国家へと進む中で

多くの人が

表現や行動に

制限がかかってきました。

それでも

彼は

少数派でも

想いを貫こうとしました。




日本は

資本主義社会で

自由だと

思わされています。

しかし、

実際は

どうでしょうか?

もしも、

日本の教育が

その方向性や制度が正しいのなら

こんなに

不登校が多いのはなぜ?

教師の精神疾患による

休職者や退職者が

年々増加するのはなぜ?

それは

比較・競争を根底に置いているからです。

また

枠にはめようとする

教育が行われているからです。

個性や自由と言いながら

それは

教師の許容範囲でしか

許されていません。

それを超えた途端に

発達障害の可能性があります

という教師が

どれだけ多いことか...。

それは単に

教師の技量を超えた子どもであるため

その教師がなんとか対応しようとするとき

医療機関を求めます。

そうすると

ドクターは

診断名をつけて

薬を処方します。

服薬を始めた子どもは

一見すると

落ち着いたようには見えますが

単に

薬によって

脳の機能を

麻痺させているだけです。

発達障害と診断されて

服薬を続けた臨床結果は

実のところ

まだ出ていないのです。

その子達が

大人になったとき、

どのような形で

薬が影響するのか...

私には

想像もできません。

自分が教師だったとき、

服薬を始めた児童の目を見て

悲しくなったことを

今でも覚えています。

目に力が無かったのです...。

組織に属していた私は

自分の考えを

周りの教師や保護者に

伝える勇気が

ありませんでした。

だからこそ、

今、

文字として

伝えたいのです。

教師としての

仮面も取りました。

私個人として

表現するなら

私自身が

責任を取れます。

実名を出すとは

そういうことだと

思っています。




新渡戸稲造の本の中にありました。

仁は優しく柔和で

母のような得である。

侍たちは仁によって

人の心を持つよう教えられた反面、

正義や公正さを持つこと無しに、

むやみに

慈悲に溺れることを戒めた。

侍は

「最も勇気のある者は

最も心優しい者である。

そして、

勇敢な者には

愛がある

ということは

広く何処にでも通用する

真理だと信じていた。

教師だった私に足りなかったもの...

それが

勇気でした。

だからこそ

子どもに関わる

親や教師は

勇気も仁も

胸に置いておいて貰いたいなと

改めて感じています。



あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨

熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE