朝5時から開いている

温泉に行こうとして

車に乗りました。

私は

滅多にテレビを見ません。

ところが、

車に乗った時に

たまたま

(偶然はこの世にはありませんが)

テレビが付いていたのです。



それは、

論理物理学者

大栗博司さんと

仏教学者

横田鉱一さんの

心とか幸せとかに関する対談でした。

とても

興味深かったです。

論理物理学者は

こう言っていました。

世界にいくつもある言語を

共通言語としてできたのが

数式でした。

数式は

仮定を証明するために

表現されたものです。

私は

証明できないものには

懐疑的です。

仏教学者の横田鉱一先生は

仏陀が悟った法が

真実であると

何で分かったのですか?



これに対して

仏教学者の横田鉱一さんは


私は

仏陀が悟ったと言われる

木の下に実際に行ってみました。

すると

その瞬間に

感動して涙が溢れてきたのです。

その気持ちは

言葉にはなりません。

その時、

私は

仏陀が悟った法は

真実だと

直感しました...。

でも、

これは数式では表せません。

さあ、

これからこの二人の対談は

どうなるかと思ったら

温泉に着いてしまいました...。






私は

言葉にはならない

溢れ出る感動の涙こそ

全ての答えだと思います。



完全覚醒者の

上江洲義秀さんも

様々なことを教えて下さいますが、

上江洲義秀さんと接点の無い方が

全く同じ事を

別の表現で著していました。

座禅というものは

もし善く用心深くやっていれば、

四百四病は自然に除かれ癒されるものです。

しかし、

用心が適切でないと

かえって色々な病気が

動いてきます。

初心の修行者は必ず良き指導者に

親近する必要があります。

というのは

魔事があるからであり、

この魔が人の心に入ると

人をして

精神を狂乱させ、

あるいは憂い、

あるいは喜び、

それによって

病気となり、

または

死に到らせることさえも

あるのです。

祭祀を取ること、

祈りをすること、

瞑想すること、

天体とコミュニケーションを

とることなどは、

全て

内観することと同じであって

内観によって

本質の自分と

出会うことができます。

それは、

神との対話であり、

内なる光との対話でも

あります。

光明に達した人というのは、

何処でも生きていけます。

地獄でも愛せるという意識で、

その人は

天国に住んでいる状態になっています。

ハートが変われば、

内的宇宙と外的宇宙が

逆転現象を起こして、

地獄も天国に変わるという

状態も生まれてきます。

    キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

懐疑的って幸せなのかなぁと

思います。

小さな子どもの

「なんで?どうして?」

は、

ワクワクした好奇心からの

疑問なんですね。

大人の懐疑的とは

全く別物です。

私は

自分が体験したから断言できますが、

この世界を創造した

命の根源は

愛そのものの

エネルギーの

集合体です。

それを

感じると

全てそこから

真理が流れ込んできます。

自分の頭で

必死になって

答えを求めなくても

必要な答えは

必要な時に

自然な形でやってくるので、

力を抜いて

生きていけます。

力を抜くと

直感力が高まるため、

さらに

メッセージが

受け取りやすくなります。

その上で

行動するから

物事が

スルスルッと

流れていくのです。

私は

夫の氣功整体を受けたときに

幽体離脱をして

ワンネスの境地に達しました。

でも、

ワンネスの境地は

瞑想でも可能だし、

散歩でも

掃除でも可能です。

要は

無の状態になること...。

そこには

全てがありました。




あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE