特別支援学校の











教師をしていたとき
違和感のある場面を
多々見てきました。
例えば、
自閉症の児童が
つま先だって歩いていたら
「かかとを床に付けて歩きなさい」
という教師の指導。
なぜなら
社会一般では
つま先だって歩いている人は
少数派だから...。
でも、
自閉症の児童は
感覚が敏感だから
かかとを上げずには
いられないのです。
もしくは、
つま先だって歩く
身体のバランス感が
彼らにとっては
ちょうど良いのかもしれません。
さらに、
一般社会において
ヒールの高い靴を履いた場合は
どうなのでしょうか?
かかとは
地面についていません。











さらに、
パニック状態になった
情緒障がいの児童は
落ち着くために
カーム(一人になれる部屋の様な箱)
に入れられていました。
児童は
泣きながら
叫びながら
言います。
「先生、ここから出して!!!!」
確かに
パニック状態になった児童は、
他の児童へ
危害を与える可能性は
ありました。
でも、
そのカームは
あまりにも
暗くて狭くて
児童にしてみたら
恐怖以外の
何ものでもなかったはずです。
それを
わが子にもできるのか?と
自分に問うたとき
答えは
NOでした。
パニック状態だったとしても
その子のために
一部屋用意して
明るさや広さを提供できたのなら...。
学校としての
ハード面にも
課題はありました。
児童生徒数に対して
学校としての受け入れは
もう限界を超えていました。
本来
教室では無い場所を教室にしたり
毎年
教室不足の話は
上がっていました。
ちなみに
熊本県の
知的障がい児を教育する
特別支援学校には
図書室、
音楽室、
美術室、
家庭科室などの
特別教室が
ありませんでした。
私は
他県の特別支援学校を
経験していたので、
このことは
とても
違和感を
感じていました。
普通って
何でしょうか?
それは
ある物事について
多数派の考え方...。
でも
障がいのある子ども達を
「普通の枠」にはめるのは
生きにくさが
あるような気がしました。
いいえ、
障がいがあろうとも
なかろうとも
自分らしく
生きていけず
「普通の概念の中で生きていくこと」は
あまりにも
苦しいはずです。
私にもあります。
私は、
自分が
聴覚過敏で
些細な音も
耳が勝手に拾ってしまうため、
一気に二人から
話しかけられたり、
もしくは
テレビがついた部屋で
話しかけられたりすると
聞き取りができずに
強ストレスとなり
パニック状態になります。
また、
「みんながしているから」
とか
「今までこれでやってきたから」
とか
「これが常識だから」
とか
基本的には
受け入れがたいものがあります。
じゃあ
常識で生きていったら
確実に
幸せになれるの?
って
聞きたくなります。
自分が
幸せになる
その答えは
全て
自分の内側に
あるのです。
だから
普通っていう言葉に
惑わされずに
自分の内なる声に
従って生きていくと
生きるのが
本当に
楽しくなっていきます。
笑顔になります。
そうすると
素敵な人ばかりが
自然と周りに
集まってくるのです。
それは
不思議なくらいに...。
普通の枠を
取っ払う...。
それは、
自分の勇気を
少し出すだけで
良いように
思います。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE