②からの続き



「僕は目に見えるものしか信じないよ」

「エネルギー?波動?

まずは、見せてもらおうじゃないか」

このような言葉は

根っからの

「現実主義者」が

よく口にします。

おかしなことに

彼らはいまだに

自信たっぷりにそう言います。

どうしてそれが、

おかしなことなのか?

*私達の目で見ることができるのは

存在する光スペクトルの

わずか、8%にすぎません。

すなわち、

真実の全てを

知ることは不可能です。

真実の92%は、

私達の目には見えません。

他の感覚器官の場合は、

もっと確率が悪くなるようです。

私達は、

目に見える8%で

全てが分かったような顔をしています。

それは、

私達が残りの92%を知覚できないからです。

つまり

私達は

真実よりも

自分の感覚を信じているというわけです。

ところで、

映像は何を基準にして

つくられているのでしょうか?

既に体験したことが

判断材料となるのです。

では、

感覚器官が知覚した8%を

私達はどのように扱っているのでしょう?

いいえ、

私達は

「知覚」しないことは、

私達にとって

存在しないもの

としているのです。

真実の8%しか

知覚できないといっても、

私達が一日に受け取る刺激は

何百万にも上がります。

つまり日々、

大量の情報を処理しなければないわけです。

ですから、

私達は

必要最低限のことしか

考えられません。

一つ一つに対して

あれこれ

思いを巡らすための

充分な時間帯など

ないのです。

そのため、

理性は

全てを処理しようともしませんし、

実際、それは不可能です。

そんなことをしたら、

理性はパンクしてしまいます。

ですから

理性は多くのことを

シャットアウトします。

既に知っていることや

熟知していることについては

無視するのです。

私達は

把握できる世界の

ほんの一部しか自覚していないのです。

*私達は

知覚できる8%のうちの

さらに千分の一しか

自覚しておらず、

それを

全ての全ての真実だと思っている。

人生のある事柄を

長いこと知覚せずにいると

私達は、

それがこの世に存在しないと

信じ込むようになります。

しかし、

それは間違っています!!!

理性は

未知なるものを受け入れるのに

少なくとも

3回は

それを見聞きする必要があります。

そうやって

お決まりの思考パターンから

理性を解放してやるのです。

(p88~p104)


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