私が25才の時の話です。

































当時、
私は
両親と共に
佐世保に住んでいました。
神奈川県の
教員採用試験に合格し、
教師として赴任するまで
約5ヶ月ありました。
その時、
ファミリーサポーターとして
地域で
子育て支援に関わっていた私に
ファミリーサポートセンターの
チーフから
声をかけられました。
「教員採用試験に
合格したんだったら
うちの
次男坊(中1)の
家庭教師を
お願いできないかしら?」










紹介されたHくんは、
繊細な少年でした。
2つ上にお兄ちゃんがいましたが、
お兄ちゃん
頭も良くて
顔も格好よくて
スポーツもできたそうです。
また、
Hくんには
3つ下に
弟がいましたが、
こちらは
自由奔放で
やんちゃで
可愛いのです...。
そして、
次男坊のHくんは、
いじめに遭ったこともあり
自分自身に対して
自信が持てず、
いつも
何かに怯えているようでした。
お母さんから
お願いされていたのは
数学でした。
お母さんが求めたのは
成績を上げることではなく、
勉強の愉しさを
体感することによって、
自分自身を好きに
なってもらいたい...。
ただ、これだけでした。
私は
数学の教科書を
出版社に問い合わせ
事情を説明し、
送って貰うように
手配しました。
教科書は、
本来
国が税金で子ども達へ
配布するものなので、
もしも
無くした場合は、
代わりのものは
ありません。
また
当時の私のように
教師でない人が
教科書を
手に入れるのは
皆無に等しいのです。
しかし、
出版社の方は
事情を理解し、
特別にしかも無料で
教科書を譲ってくれました。
これも
今、思うと
Hくんの笑顔だけを思っての行動に
見えない力が
働いたとしか
言いようがありません。
私は
午前中は数学の教える内容を準備し、
夕方からは
Hくんの家庭教師という
生活を
ほぼ毎日していました。
図形が分かりにくければ、
画用紙を切って
平面から立体に変化していく様子を
目の前で提示しました。
数学は
答えが1つでも
答えに到るまでには
幾通りかの方法があることも
教えていきました。











数学に対して
拒絶反応が無くなってきた
Hくんは
日本史も学びたいと
自分から言うようになりました。
私は
日本史の教材も
併せて手作りしていったのです。
日本史は、
クイズ的な感じから
始まり
歴史的な出来事が
起こる
ストーリーを語りました。
起こった年代より
その背景が大事だと
考えていたからです...。
そんな家庭教師だった私に
Hくんは
「もし良かったら
授業参観に来て貰えませんか?」
と言ってきました。
お母さんにお伝えすると
「ちょうど良かった。
私、仕事で行けないから、
代わりにHくんの様子を
見てきて私に教えてよ。」
と言われたのです。
25才の私が
中1のクラスの授業参観...。
生徒達の視線が
一気に来たのが分かりました。
授業が終わると
女子生徒から
囲まれて
「誰を見に来たの?」
「何でここにいるの?」
と質問攻め...。
一方のHくんは
全く知らんぷりでした。
思春期の想いを垣間見た瞬間でした。
私は
神奈川県に赴任するため
最後に
Hくんに対して
花を贈りました。
Hくんは最後にこう言ったのです。
「会えて良かった。
僕は
夕方からの時間が
楽しかった。
だから、
これからも
頑張るよ...。」












その後、
Hくんは
歴史に関しては
学年でトップクラスに
なっていったそうです。
そして
自分が生きたいように
生きていく強さを
身に付けました。
Hくんは
お兄ちゃんと共に
バンドを組み
海外で演奏をしたこともあったそうです。
時に
私を励ましてくれることもありました。
そして
今
彼は
シングルマザーの
ある女性と出会い
結婚しました。
そのお子さんは
自閉症だそうです。
その話を聞いて
Hくんらしいな...と
思いました。
優しさと
強さと
深い愛を持ったHくんらしい...
そう
思ったのです。
人は
学びで変わります。
それは、
単に知識量ではありません。
もしも
Hくんのお母さんが
私に
成績を上げることを
望んでいたら
私は
家庭教師を断ったでしょう。
学びの愉しさから
自分自身の可能性を高めていくことを
最重要なこととして
私に求められたからこそ
Hくんの心が
大きく変化していった...と
私は
考えています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE