私が教師をしていた頃の話です。
当時
夫は整骨院で修行していました。
私のお腹には次男坊がおり、
産休に入るまで
何とか乗り切ろうとしていました。
そんな時に
長男が高熱を出しました。
私と夫は
看病のために
どちらが休むのか
熱で苦しんでいる長男の枕元で
言い争いをしていたのです。
今思うと
組織に属していた私は
長男のことより
職場での自分の立ち位置が
気になっていました。
泣きながら
「ママ、おうちにいて。」と
私の手を握りしめてきた
長男の手を振り払った事もありました。
時が流れて
3人目を産んで
復帰してからの話です。
「今は子育て大変だけど
いつか楽になるから
今だけの辛抱よ。」
と経験を重ねた50代の方から言われました。
病気の我が子を家に残し、
他の子どもの教育にあたる自分...。
心ここにあらずの状態でした。
そんな時は
何度も何度も思いました。
何のために
私は
仕事をしているのだろう?
私が教師を辞めたのは
組織が合わず
また
ヒーラーになるという
想いがあったからですが、
このまま教師をしていたら
きっと後悔すると思ったからでした。
教師を辞める少し前に
気付いたことがありました。
我が子の学校に着ていく
セーターの袖口が破れていたことにさえ
気付かなかった私がいたことを...。
「ねぇねぇ、お母さん。あのね...」
の語りかける我が子に
「疲れているからもう寝るね」と
聞く耳持たずに
布団に入っていたことを...。
平日の朝は
子どもが寝ているうちに
職場に向かっていたことを...。
仮に
朝
子どもが起きていたとしても
私は苦虫をかみつぶしたような顔を
していたことを...。
朝の会話なんて
余裕が無かったことを...。
休みの日も
教材作りで
我が子を
近付けなかったことを...。
そんな親に育てられた我が子が
大人になったときに
私の傍に来てくれるなんて
有り得ない...そう思いました。
私にとって
大切なのは
今を
どう生きるか...
それだけでした。
いつか楽になるから
と言われたときに
その時が早く来ないかなと
思った私がいました。
でも、
私が欲しいのは
楽ではありませんでした。
それだけ犠牲を払って
教師をしていた私ですが、
教師の役割から離れた私を
必要とする人は
居なかったのです。
私を必要としていたのは
家族でした。
今は
朝から
子ども達と
笑いながら
食事をします。
子ども達の話は
相手の目を見ながら
話を聞くようにしています。
おやつは
手作りを
できるだけ出すようにしています。
そんな毎日の積み重ねが
豊かな時間だと
その有難みを感じられるのも
教師時代の経験があったからでした。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE